★歴史からすら学べなかった地震

 震度7地震がなんと「前震」だったとわかった熊本には義弟一家が住んでいて、阪神淡路大震災と同じマグニチュード7.3の「本震」が来てから、「熊本市内は前回より強い地震」だとLINEがあった。

 家は熊本城のすぐ近くで、部屋の中は滅茶苦茶になってしまった上に断水しているものの、今のところ倒壊とかそんなことにはなっていないという。
 楽観的な義弟本人は自宅にとどまり、心配でとても寝ていられないという家族は近くの広い駐車場に車を駐めてその中で寝ているらしい。
 二夜連続でそんな状態らしいのだが、今夜はどうしているんだろう。
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 最初の地震のあと、テレビのインタビューに「まさかこんな地震が来るとは夢にも思っていなかった」と答えている年配の人がいた。
 経験則としては確かにそうなんだろう。

 だが、少なくとも阪神淡路大震災の後では、個人の経験則で地震を考えてはいけないことが日本に広く共有されていると思っていただけに、かなり驚いた。
 まして、東日本大震災の後なのである。

 報道にあるとおり、熊本でも1889年(明治22年)に大地震があったという。私の祖父母すら生まれていない時代なので、その経験を聞いている人はほとんどいないに違いない。だからこそ、「歴史から学ばなければならない」と言われるのだろう。

 しかしながら、経験と歴史から学んでいても、まさか震度7地震のすぐ後に、より大きな地震が来ると予想した人はいなかったのではないか。報道で聞くのも常に「「余震」に気をつけてください」であった。
 気象庁地震予知情報課長も、「規模の大きいM6・5の地震発生後に、さらにそれを上回る規模の本震が発生した記録など」は「存在しない」と言っている(asahi.com)。活断層地震に限れば、実際そうであるらしい。

 つまりは、今回、学ぶべき新たな歴史が生まれたということか。

(後記:歴史地震学者?の磯田道史氏によると、規模の大きい地震後にさらにそれを上回る規模の地震が発生した歴史的事実は古文書から読み解けるという。だとすると、気象庁の課長は「観測史上」について発言していたのか、それとも歴史的記録にまで思いが及んでいなかったのか、あるいはまた、観測開始以前のマグニチュードや震度は推測に過ぎないため、「記録」扱いできないと思ったのか。)
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 最初の地震を「まさか」と受け止めた方々には申し訳ないが、よく知られた警句がある。
 曰く、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」。

 だが、学ぶべき歴史(上の記録)すら存在しないとき、私たちはどうすればいいのか。

 それはおそらく、「想像する」ことだろう。

 でも、イマジネーションの翼を広げすぎると身動きが取れなくなる。
 至難には違いないが、「適切に想像する」ことの大切さを改めて思わざるをえない。

 そんな想像、しなくてもいい地球であり社会であればいいんだけれど、悲しいことに、それは望めないのだ。