●クジラとかイルカとかマグロとか

・日本の調査捕鯨船に乗り込んだとか体当たりしたとかで、シーシェパードが物議を醸している。
和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー、「ザ・コーブ」がアカデミー賞を獲得した。
ワシントン条約締約国会議では、大西洋と地中海のクロマグロの国際取引禁止が議論される。

 以上のような問題を考える際、必ず出てくるのが、

・クジラ(イルカ・マグロ・・・)を食べるのは日本の伝統的食文化だから守るべきだ。
・ウシ(ブタ・ニワトリ・・・)は殺しているくせに。
アメリカ(オーストラリア・ヨーロッパ・・・)だってたくさん残酷なことをしている。

というようなピント外れで短絡的な議論である。

 マスコミまでもが、「アメリカだって、オスのヒヨコは役に立たないからといって粉砕機に放り込んで肥料にしたりしてるんですよね」(記憶で書いてます)などと、日本対アメリカの図式にしたうえで見当外れなコメントを垂れ流している。
 そんな愚かなことを全国に向かって放送しているのが「解説者」と称する専門家ぶった輩なのだから始末が悪い。そのレベルのゴタクなら、酒でも飲んだ時に仲間内だけでやってほしい。

 たとえばシーシェパードのやっていることは、マイルドではあるがまさにテロであり、許されないのはその通りだろう。「ザ・コーブ」に事実誤認があるのならば、具体的にそれを指摘すればいい。
 だが、反論する側がこんな愚かしいことを感情的にしか言えないのでは、話にならない。
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 まず、クジラ(イルカ・マグロ・・・)は日本の伝統的食文化か? どの程度の広がりがあれば「日本の」といい、どの程度の時間的継続性があれば「伝統的」というのか。

 少なくとも、イルカはごくごく限定された地域だけにおける食文化だし、クジラだって、ひろく日本で食べられたのはせいぜい戦前戦後の半世紀ぐらいのことであろう。
 実際、ほとんどの人がイルカなど一度も口にしたことはないだろうし、クジラにしても、40歳以下のほとんどの人がそうであるはずだ。それ以上の年齢層が食べたことがあるのも、たまたまクジラ漁が盛んな時代に生きていたからに過ぎない。マグロですら、広く盛んに食べられるようになったのは、この半世紀のことであるという。

 いずれにせよ、わざわざ「日本の」などという必要はない。むしろ、伝統的食文化が近代国家的広がりを持っている方が例外的だ。だから、ごく一部の地域の文化であっても同じことだと考えてもいい。
 それをまあ、「ある地域の伝統的食文化」だと認めるとしよう。だったら守るべきなのか?

 世界には、たとえば人肉食が伝統的食文化である民族がいた。その文化は守るべきだったのか?
 あるいは、サル食だったら守るべきか?
 クジラだったら? イルカだったら?

 (話は違うが、そもそも、ほぼ全人類に共通する最大の伝統文化は「戦争をすること」だと思うが、その伝統文化は守るべきなのか?)

 要は、現在と将来を考える人類として、どういう伝統的食文化なら今後も維持していけるのか、維持していくべきなのかということを、生存や倫理や環境や資源や経済や・・・を勘案して考え、合意していくことこそが重要なのだ。

 もちろん、それはウシ(ブタ・ニワトリ・・・)に対しても同じことであって、そんなものを持ち出すことは対立軸にも反論にもならない。
 アメリカ(オーストラリア・ヨーロッパ・・・)にしても同じである。そう思うなら同じ土俵にのせてまともな議論をすればいいし、そもそも国と国が対立している問題でも何でもない。
 むしろ、互いの批判が国と国、民族と民族、文化と文化・・・の対立に起因する面があるのだとすれば、「そうではないし、そうあるべきではないのだ」ということをきちんと主張していかねばならない。
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 「寿司屋でマグロが食えなくなるのは困る」などという主張は、「生物多様性を維持するために」という議論の前には、子どものわがままみたいなものである。
 反論するなら、「現状で(あるいは規制を強化すれば)資源は維持できる」ということしかない(現にワシントン条約締約国会議で日本はそう主張するだろう)。

 私だって、人並み程度にはマグロを食べたい。だが、そういう利己的な欲望は

人類の偉大な食糧庫、海を守ろう——。パリに本部があり、58カ国・地域計約500の高級レストランとホテルが加盟する協会「ルレ・エ・シャトー」は昨年11月、「メンバーは2010年1月から、地中海を含む大西洋のクロマグロを使わない」「持続可能な水産物を調達する」など魚料理の提供について六つの宣言を出した。(asahi.com
というような料理人の前では、恥ずかしくて口に出せないというのがまともな感性である。
(もっとも、ほんとうに資源が豊富にあるのであれば、今の時点でそこまですることはないだろうとも思う。問題は、そんなことはだれにもわからない、ということかもしれない)

 一番愚かだと思うのは、こういうことを国対国の対立図式に持ち込もうとする態度である。さすがに、ほとんどのマスコミは冷静だと思うのだが、一部のマスコミは上に書いたように、アメリカの悪口を言って反論した気になっている。「ネット世論」に至っては、目も当てられない。
 ヒヨコを粉砕して肥料にしているのかどうかは知らないが、それはそもそも「アメリカ」がやっていることではないし、日本で同じことをやっていても何の不思議もない(日本でオスのヒヨコをみんな大きくなるまで育てているとも思えない)。

 クジラの話題になると、必ず、「アメリカは鯨油が欲しくて日本に開国を迫ったくせに」などという輩まで湧いてくるが、あほらしくて何を言う気力も失せてしまう。

 「アメリカ」が昔、鯨油を必要としていたとか、「日本」が今、クジラを食べたがっているとかいうことは、仮に事実であるとしても、どうでもよいことである。
 人類として、今後クジラをどうしていくのか、だけが問題なのだ。

 人類が他の種の命運を決めること自体が不遜だという議論はあり得よう。だが、現実にそういう地位を占めている以上、避けては通れない道である。
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 クジラ(イルカ・マグロ・・・)で生計を立てている人には、もちろんその立場からの主張があるだろう。

 だが、それ以外の単なる消費者がなすべきことは、(繰り返すが)現在と将来を考える人類として、生存や倫理や環境や資源や経済や・・・を勘案して考え、ひろく合意できるような努力をすることである。

 そして、なすべからざる最低の行為は、国同士の対立図式を無理矢理でっちあげて感情的な応酬を繰り返すことだ。