◆高文脈文化 あるいは ヤマセミ

 日本は高文脈文化(high-context culture)であると言われている。

 要するに、場面や文脈から「言わなくてもわかる」ことを前提に社会が成り立っている文化だというわけだ。

 程度の差はあれ、日本から見ると他のほとんどの文化は相対的に低文脈文化(low-context culture)で、「言わなければわからない」ことを前提に社会が成り立っているとされる。
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030a5832_copy_2 過日、人に教えられてヤマセミを撮影に出かけた。

 ふだん、わざわざ特定の鳥を見るために出かけたりはしないのだが、まだ2〜3回しか見たことのない珍しい鳥が至近距離で撮影できる確率が高いというので、行ってみる気になった。

 教えていただいたポイントに着くと、先客が3人いらっしゃった。挨拶をして、「出てますか」と聞く。「いや、今日はまだですなあ」という返事。

 その後出るまで30分ほど、出てからも30分くらい(結局3回現れた)、都合1時間ほどそこにいた。

 その間にもう3人ほど来て、私を含めぜんぶで7人になったと思う。同好の士ということもあり、それなりにいろいろ会話もした。

 が、途中で気がついて、結局最後までそうだったのだが、その1時間、7人の誰ひとり、「ヤマセミ」という語を口にしなかったのである。

 「なかなか出ませんなあ」「だいたい5時ごろによう出るんやけどね」「あ、鳴いた」「来たで」「大きいんですね」「私まだ見たことないんですよ」「ほら、その枝の上」「昨日もそこに止まりましてん」「あ、飛んだ」「魚くわえてる」「ほぉ、昨日はつがいでいたんですか」「今日のあれはオスですなあ」「昼間はダムのほうにいるらしいですわ」「こないだ名古屋のやつを見に行きましてん」「武田尾には最近出ませんなあ」・・・

 ホトトギスも鳴き、ミサゴも狩りをしていたのだが、そこに集った全員の興味の中心がヤマセミにあることは自明だという文脈の下、ヤマセミには一切言及せずに話をするのである。

 でも、そんなことは当然ではないか。言わなくてもわかることをわざわざ言う必要はない。
 ・・・というのが高文脈文化で、低文脈文化であれば、きちんと「ヤマセミ」とか「それ」とか言うのだろう。

 そういう文化は言語自体の中にも埋め込まれていて、だからたとえば英語では、主語が省略しにくいとか目的語はもっと省略しにくいとか、そういうこととも繫がっているのだ。

 「見た?」

ですむことが

 "Did you see what I saw ?"(私が見たものをあなたは見たか)

になってしまう(よく聞く表現だ)としたら、なかなか大変である。

 うーん、しかし・・・

 上のヤマセミと同じ状況が英語圏であったとして、ほんとに「ヤマセミ(Crested Kingfisher)」という単語を使うのだろうか。

 使わなくていいよなあ・・・とは思うものの、

 Hello. Appeared ?
 Not yet.

みたいな会話はやっぱりちょっとヘンかもしれない。