■弁護士は何をしているのか?

 「号泣県議」として世界的に有名になってしまった野々村竜太郎被告の初公判が神戸地裁で開かれた。

 勾引手続きを経て法廷に引きずり出された氏は、「記憶にない」と繰り返し、取り調べへの不満を強調したという。

 なぜ、そんな態度に出たのだろう?

1.氏は、取り調べに対しては事実を認め、反省文まで検察に提出している。
2.だまし取ったとされる金銭はすべて弁済している。
3.そして、県議を辞職しただけでなく、大きな社会的制裁も受けている。

 これはすなわち、初犯なら執行猶予付きの判決が出るような3条件を満たしているということだ。

 弁護士が指導すべきことも本人が心がけることもただ一つ、法廷で素直に罪を認め、ひたすら謝罪して反省の弁を繰り返すことである(これまでの報道を見る限り、冤罪の可能性は限りなくゼロに近い)。

 それだけで裁判は早期に結審され、刑務所にも行かずにすむはずだ。

 にもかかわらず、当初は公判に出廷せず、勾引されてしまった。
 さらには、「覚えていない」と繰り返し、捜査への不満を強調して反省していないものだから、2か月の勾留まで決定された。
 判決が出る前に自由を奪われ、この寒い中、拘置所暮らしである。

 もともと、氏は在宅起訴され、基本的には自由の身であった。裁判が始まってももちろんそれは続いただろう。そして判決は、おそらく執行猶予付きになり、結局、身柄を拘束されることなどなしで済んだはずだ。

 どうして素直に罪を認めて深い反省と謝罪を表明しなかったのだろう・・・

 本人は精神的に参っていると主張している。記憶障害も案外本当かもしれない。
 であるならよけい、反省と謝罪に徹するよう、弁護士が説得すべきだったろう。

 いったい、弁護士は何をしているのか?
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 やったとされていることはもちろん悪いことなのだが、報道にあるようには怒ったりあきれたりする気になれない。むしろ、気の毒で見ていられないという思いのほうが強い。

 もっと悪い政治家はおそらく数多くいる。そのほとんどが図太く厚顔無恥に立ち回り、無傷で、あるいは浅い傷だけでうまく逃げおおせているだろうことを思うと、法の下の平等って何なのだろうと思う。

 結局は、力のない者が袋叩きに遭ってさらし者にされ、より悪質な権力者たちは見過ごされてしまうのだろうか。