■論理的な信仰

 バイクの12か月点検のためにディーラーへ行った。

 「気になるところはありませんか」と聞かれて、「特にありません」と答えてから、そういえばリアブレーキのパッドが減っているのを思い出した。

 しまった。安い店で先に交換しておくんだった・・・

 費用を聞くとそれなりに高いので、ちょっとどうしようかと考えるうち、つい先日、自分でここに書いたことを思い出してしまった。

「何でもかんでも、とにかく安く」という、信仰に近いような市場経済の要請が社会を蝕んでいる。

 言うまでもなく、私も信者(=社会を蝕む主体)の一人である。

 いや、分野によってはそれなりのお金を支出するのを惜しんでいない・・・とか言い訳してみても(だれに?)、お大尽からほど遠いのは疑いようがない。

 まあしかし、舌の根も乾かぬうちから「社会を蝕む」のも気が引けたので、ここは大らかに ^^; 高い費用を払って交換してもらった。

 ほんの雀の涙ほどは、日本経済と社会、そして労働者の幸福に貢献できただろうか。

 そう自分を慰めつつ、次回はやっぱり安い店に頼もうかと思っている。モノは同じだし、技術だって遜色ないのだから(もしかしたら上かも)、当然じゃないか・・・

 ふつう、信仰というのは非論理的だから対処に困るのだが、安さへの信仰は、論理的だからこそ始末に負えない。