■異常な廉価

 職場の清掃関連で看過できない問題が生じたということが会議で取り上げられた。

 私が担当ということになったので、支出などを把握している同僚にあれこれ教えてもらいながら2人で考えているうち、当面の問題よりはむしろ、市場経済の異常さに思いを致さざるを得なくなった。
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 会議でも出たし、私もかねがねそう思っていたのだが、うちの職場の清掃にはかなり問題がある。
 端的に言って、あまり綺麗になっていないのだ。

 特にトイレには問題があると以前から思っていた。控えめに言っても、もう少し何とかなるだろうというレベルである。
 でも、現実に掃除をしている人を知っているので、その上司なり雇用主なりにクレームを入れるのもしのびない。
 どうしようもないというレベルではないからでもある。

 そんな中、今回初めて、清掃業務の仕様書?や費用などを知った。

 トイレを例にすれば、床や洗面台はもちろん、水栓や便器に至るまで、どこをどう掃除すべきか事細かに書いてある。
 ウォシュレットを使う時に伸びてくるノズルをきれいにするということまでリストにあって、抜かりがない。
 その掃除を平日は毎日行うことになっている。

 だが現状は、とてもそんなことをしているとは思えないのだ。

 その一番の原因が今日判明した。

 支出と清掃回数から換算すると、1箇所1回あたりのトイレ掃除費用(しかも、清掃員その人に支払われる金額ではなくて、雇用主に渡る金額)が、なんと100円なのだ。
 1箇所というのは、便器1つのことではない。女性用がどうなっているのかは知らないが、男性用でいうと、小便器と大便器がそれぞれ3つずつ、洗面が2つとか、そのくらいのトイレだ。

 それをぜんぶ掃除して100円・・・

 どうしてそういうことになるかというと、(おそらく)競争入札による業務委託が義務づけられているからである。

 業者に仕様書?が提示され、これだけの業務がいくらでできるかと競争入札にかけられる。
 業者はとにかく安くしないと落札できないわけだから、とんでもない安値で落札する。その結果が、トイレ1箇所当たり100円というわけだ。

 そんな金額で、まともな掃除ができるわけがない。清掃員が1箇所の掃除に5分もかければ、業者は赤字になってしまうだろう。
 だが、とんでもなく汚くない限りは、だれもわざわざ文句は言わない。私だってそうだし、上にも書いたように、現実に掃除をしている人をいじめたくないという思いも働く。
 だから次の年もまた、同様の安値で同じ?業者が落札する。

 「こんな金額で仕様書通りの清掃ができるわけがない」というまともな業者があったとしても、そういう会社に仕事は渡らない。

 いや、たとえ競争入札だとしても、最低落札価格の設定とか何とかあるはずだ・・・とも思ったが、そういえば、「1円入札」とかいうニュースも見聞きするくらいだから、手抜き工事が危険に直結する建築物など以外では、最低価格はないのかもしれない。

 「この件でぼくたちに何ができるだろう」と同僚相手ににつぶやいてみたものの、とりあえずは何もできそうにない。
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 「何でもかんでも、とにかく安く」という、信仰に近いような市場経済の要請が社会を蝕んでいる。

 国内にあった仕事は安い労働力を求めて海外に出ていき、さらに安い場所を求めて転々としはじめた。
 海外移転できない仕事は「仕方なく」国内在住者が担うが、その最低賃金生活保護水準以下である。それは問題だということになると、賃金を上げるのではなく生活保護の支給額を下げようとする。

 さらには、その最低賃金でも高すぎるとばかりに、より低賃金の労働者を外国人研修生や実習生という名目で働かせてきた。
 幸い、今では労働者として最低賃金を保証されるようにはなったはずだが、実際のところはどうなのだろう。

 フルハイビジョンの40型テレビが5〜6万から手に入るような現状では、パナソニックだってシャープだってソニーだって経営が傾くのは当たり前である。

 われわれはどこまで、自分の首を絞めながら安さを求め続けていくのだろう・・・

 自戒を込めて。