●証拠がないのに有罪判決を出すのはそろそろやめませんか

 また冤罪だ。
 証拠がないのに有罪判決を出すのはそろそろやめてはどうだろうか。

 強姦と強制わいせつの罪で懲役12年の判決が確定し、刑務所に服役中の男性を大阪地検が釈放したという(asahi.com)。
 大阪地裁の再審開始決定すら待たずに刑の執行を停止して釈放した。そうせざるをえないほど明白に無実だったということだろう。
 「極めて異例の措置」(同)だと言うが、足利事件の時も同様だった。また同じ間違いを繰り返したのだ。

 この男性はすでに、約3年6か月も服役していたそうだ。
 再審請求を受けて再捜査をした結果、被害者と目撃者が証言を翻し、かつ、「男性が事件に関与していないことを示す客観的証拠も見つかったという」(同)。

 逆に問いたいのだが、この男性が罪を犯したという「客観的証拠」が何か一つでもあったのだろうか。
 あったのならそれは間違いだったということになるが、おそらくは何一つなかったのだろうと思う。

 証拠がなくても「懲役12年の判決が確定」する!!

 そんな司法制度を擁する国に私たちは住んでいる。
 男性は一貫して無実を主張していたというから、地裁から最高裁まで3回も誤った判断を繰り返したのだろう。何のための三審制なのか。
 さらに、まったく無実の者が「やっていない」と主張し続けると、「反省しておらず悪質」だとして刑を重くしてしまうのがこの国の裁判所である。

 無実なのに・・・

 2人が口裏を合わせ、「私は襲われました」「私は目撃しました」と言っただけで、もっとも残酷な形で他人の人生を葬り去るようなことができたのだ。
 この事件に無関係の者にとって怖いのは、「できた」だけではなくて、今後も「できる」ということである。
 2人どころか、1人が「この人が痴漢です」と(間違えて)言っただけで、まったく証拠もなしに有罪判決が出る現実は、『それでもボクはやってない』(周防正行2007)で綿密に描かれたとおりだ。

 刑事裁判の鉄則は、
 ・疑わしきは罰せず
 ・すべての合理的疑いを超えて有罪としか考えられない場合のみ有罪
 ・十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰することなかれ
であるはずだ。

 だが現実には、まったくの無実・無辜の人を、平気で有罪にしてしまい、時には死刑にすらするのである。

 ほんとにもうそろそろ、証拠がないのに有罪判決を出すのはやめてはどうだろうか。