◆ヨーロッパ一人旅

 ようやく無事に目的の街、ベルガモに着いた。日本を出てからちょうど24時間くらいかかっている。家を出てからだと30時間近い。
 晴れていたのに、ベルガモ駅のホームに降りるまさにその瞬間から夕立で、しばしの雨宿りを余儀なくされる。
 疲れた顔でホテルのフロントに辿り着き、一瞬ぼーっとしていると、互いに顔を見合わせて妙な間(ま)が流れた。「ブオナ・セーラ」「ブオナ・セーラ。すみません、とっても疲れたものですから」
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 ドバイからミラノに飛ぶのはもちろん決まっていたが、空港からどうするかはあまり考えていなかった。
 ベルガモ行きのバスがあるのだが、待ち時間が数時間というので、結局、ミラノの中央駅までバスで出て、そこからベルガモまで列車に乗ることにした。その列車の待ち時間さえ40分以上あった。

 ミラノからベルガモに向かうしょぼくれた2等車から、あまりぱっとしない車窓風景を眺めているうち、何だか妙な感懐に包まれた。
 寂寥感・・・と言ってしまうとちょっと違うのだが、たった一人で遠い国の侘びしい電車に揺られていると、この年になってもこんな感覚になるのだとちょっと驚いた。

 こういう感じってあまり経験がないなあ・・・と思いをめぐらすうち、あることに思い当たった。

 別に何とも思っていなかったのだが、こんなふうに一人だけで、しかも電車で海外を旅するのって、もしかすると、それこそ30年ぶりではないだろうか。この感じは、初めて海外旅行に出たハタチの時にまとわりついていた、あの感覚に似ている。

 2度目の海外旅行となった1991年以降、移動は車が基本になっているし、家族だとほとんどずっと行動をともにする。仕事で同僚なんかと来るときは一人になることも多いものの、今回のように最初から今まで一人というのは初めてかもしれない(明日は仕事仲間に会えるはずだけれど)。

 今、記憶と記録をたどってみると、やはりというか、一人で行ったのは、アメリカへ飛行機の免許を取りに行ったときと、サイパンにダイビングのCカード(免許)を取りに行ったとき、その後グアムに潜りに行ったときだけだ。
 いずれも電車での移動はなく、グアムとサイパンは空港からバスでホテルに直行、アメリカは空港まで教官が迎えに来てくれていた。

 「異国を電車で一人旅」は、やはり30年ぶりなのである。そんなこと考えもしなかったけれど、実際にそれをやってみると自然に同じ感覚が甦ってきたのだ。

 30年経っても進歩していないことを己に教えるかのように。