◆よくぞ言ってくださった

 古屋圭司国家公安委員長、感心しない人物だと思っていた(というか、今でも思っている)が、今回の発言に関しては半分くらい賛成する。警察による交通取り締まりに関して曰く、

「取り締まりのための取り締まりになっている傾向があり、警察の信頼という視点からもちょっと疑問符がつく」と指摘。片側2車線で「歩行者が出てくる危険性もない制限速度50キロの道」を例に挙げて「交通の流れに逆らわずに行くと70キロぐらい出る」とし、「20キロ以上超えると取り締まりの対象になる。そういうところはどうかなといつも疑問に思っていた」と話した。(sankei.jp)

 何度か書いたが、私が30年以上の運転歴で2回、速度違反で検挙されたのは、いずれも、これに近い状況だ。
 最初はまだ未成年のころ、中央分離帯のある片側2車線の直線の下り坂で、制限速度は当時40km/h。そこを53km/hで走っていて捕まった

 2度目は、歩行者も自転車も(原付すら!)通行禁止の、中央分離帯のある高架道路。制限速度は当時50km/h。測定速度は70km/h弱だったと記憶している。これは冤罪くさいので、警官といろいろ話しているうち、明白な嘘をついたり違法行為を行ったりするので(警官が、ですよ)、反則切符や調書にはサインせず、反則金も支払わなかった。

 後に所轄の署長宛に抗議文書を出し、交通課長と話をしたりした。確認はしていないが、結局、書類送検されて不起訴になったと思われる。刑事処分としてはまったくの音沙汰なしで、行政処分として免許の点数だけが引かれた(ずっとゴールド免許だったのにお蔭で8年(5年の更新前にバイクの免許を取ったため)にもわたってブルー免許ということになっている。そのせいで任意保険料を10万円以上損していると思う)。

 腹が立つのは、というべきか、上記いずれも、今は同じ道の制限速度が60km/hになっているということだ。
 交通量はむしろ増え、当時より安全になっているなどということはない。あまりにも馬鹿げた制限速度の設定が改善されたということである。

 過ちては則ち改むるに憚ることなかれ、喜ぶべきことではあるのだが、「過」っていた制限速度で検挙された者の無念はどうなるのだ。
 初めから現在の制限速度なら、胸を張って?「30年以上の運転歴で速度違反で検挙されたことはただの1度もありません」と言えるのに。
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 古屋国家公安委員長は、片側2車線で「歩行者が出てくる危険性もない制限速度50キロの道」で「20キロ以上超えると取り締まりの対象になる」ことに疑問を呈している。

 だが、13km/h超えても取り締まりの対象にされたし、より問題なのは、制限速度の方である。
 リーズナブルに設定された制限速度ならば、20km/hも超えれば、それは取り締まりの対象にして当然だろう。
 片側2車線で「歩行者が出てくる危険性もない」「道」であれば、制限速度は当然60km/hであるべきだ。そもそも、法定速度は60km/hなのだから、ことさら低い速度に規制するなら、説明責任(好きな言葉ではないけれど)があるはずである。

 だが、問題はそこにはない。古屋氏もいうように、「取り締まりのための取り締まりになっている傾向があり、警察の信頼という視点からもちょっと疑問符がつく」という点がより重要だ。

 「ちょっと」どころではない。この種の愚かで悪辣な(とまで言う理由は下記引用参照)取り締まりのせいで、警察は善良な市民の多くから敵視されるに至っている。それも故なきことではない。なぜなら、取り締まりは交通安全のためになされているのではないからだ。もし交通安全が目的だというなら、どうして、上記のようなもっとも安全な道での軽微な違反を、必死で身を隠すような「おとり捜査」まがいのことをしてまで一生懸命検挙するのか。

 以下、「今井亮一の交通違反バカ一代!」からそのまま引用させていただく。

 俺は交通違反・取締りを丸30年間、取材・研究してきた。結論はこうだ。

 交通取締りってのは、国家公安委員長だって妥当性を欠くと思える規制の網をがんじがらめにかけ、つまり交通違反が日常的にあふれる状態をまずつくり、そのごく一部(検挙率的には1%をはるかに割るが、件数的には年間軽く1000万件を超える数)を、現場警察官に努力目標(実質ノルマ)を課して取り締まらせ、年間700〜800億円くらいの反則金をはじめ、生じるカネはぜんぶ警察の縄張りへ流し込む、警察幹部はそこへ天下る、そういう錬金システムなのである、大掛かりで合法な悪徳商法なのである、交通取締りってのは。

 そうではない、真に交通安全に資する、まともな交通指導・取り締まりを心から切望している。