★だれも責任を問われない大失敗

 法科大学院の制度ができたとき、「もしかしたらこれで自分も弁護士になれるかも」と思った人は多いと思う。
 恥ずかしながら、私自身もちらっと思った。

 実際に行動に移せた人は多くないとは思うが、それでもこれまでに何万人もの人々が困難な道を選んだ。
 仕事を辞めて挑戦した人も少なくない。

 そうして、大学院に入る段階で、修了するまでに、司法試験で、司法修習中に、二回試験で、多くの優秀な人々が挫折していった。

 それらの関門をすべてクリアして、晴れて法曹資格を得た先に待っていたものは何か。

 失業者になること、ニートになることだった。

 朝日新聞によると、「新司法試験に合格し」2011年12月「14日に司法修習を終えた弁護士志望者のうち、約2割が弁護士登録をしなかった」という。正確には、21.9%、数にして400人。

 職がなく、弁護士登録に必要な費用や毎月の会費を払えない(もしくは払うメリットがない)からだ。
(もちろん、登録した78.1%、1423人の中にも職のない人はいるだろう。)

 法曹資格を得てもニート・・・
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 そもそも、法科大学院を修了すれば大多数が法曹資格を得られるというスキームだったはずが、現実には司法試験に合格すること自体が困難になっている。
 高い学費を払って努力を重ね、法曹資格を得てすら弁護士未登録者数は毎年うなぎ登り。
 そのために学生も集まらず、多くの法科大学院が存続の危機に陥っている。

 何万人もの人生を狂わせ、日本中の大学を混乱させた(だけの?)この大失敗の責任を負う者はしかし、だれひとりいない。
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 これほどの大きな話題にはならないものの、私の職場でも毎年毎年、失敗するのが必定の企画が立てられて実行されている。
 今年もまた、箸にも棒にもかからない「画期的な新構想」がいくつか提案され、上層部とその追従者たちによって嬉々として実行されている(彼らもほんとは「やらされている」のだろうか)。

 その「構想」の提案書たるや、手垢のついた空疎な大言壮語の羅列であり、無駄に饒舌なばかりで大した意味はない。読んでいるこちらが恥ずかしくなってくるほどだ。

 法科大学院と新司法試験の失敗と同様、これも数年後、失敗に終わっているのはおそらく間違いない。ただし、いくぶんかひっそりと。

 だが、失敗がわかればやめられるなら、それだけでもましかもしれない。今さらやめようのない失敗も、日々上塗りされ続けている。
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 何もできない自分を恥ずかしく情けなく思っても、やはり何もできなくて恥ずかしくて情けない。