■季節を遡りながら

 ゴールデンウィークに遠出するなんて、何年ぶりだろう? もしかすると、生まれて初めてかもしれない。

 季節を遡(さかのぼ)りながら、東北までやってきた。今は福島県にいる。

 昨夜家を出たのだが、北上するに従って、木々の葉がどんどん縮んでいき、散った桜の花びらが枝に戻っていく様子は、サービスエリアやパーキングエリアで夜目にも感じられた。

 なのに気温は高く、車の中で仮眠するのに寝袋はまったく不要だった。

 あいにくの小雨模様だが、夜が明けてからは、季節の逆戻りがいっそう明らかになる。
 桜は満開に戻り、落葉樹は冬枯れた姿をさらす。猪苗代湖畔の枝垂れ桜など、膨らんだつぼみの姿にまで戻ってしまっていた。

 山々には雪が白く残り、 道ばたや芝生には積み上げられた雪が黒く残されている。
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 行く春と別れを惜しみつつ、江戸・千住を後にした芭蕉には、春は戻ってこなかったに違いない。かの健脚をもってしても、行く春を後ずさりさせるほどの速度で奥の細道を北上することはできなかったはずだ。

 それから300年余を経た現在では、春をどんどん巻き戻すことができる。幸い、その方法は旧に復した。
 現代の奥の太道たる東北自動車道をひた走れば、季節は目に見えて歩みを戻すだろう。
 上野を出る東北新幹線の車窓からなら、フィルムを高速で巻き戻したような景色が展開するに違いない。

 だが、それらはすべて、どんどん位置を変える旅人の視点だ。同じ地点にとどまる者には、時間を逆戻りさせることはできない。
 旅人にしたところで、いくら急いでも願っても、ここが静かで綺麗な雪に覆われていたときにまで遡ることはできない。

 「このままどんどん北上すれば、あるいはもしも・・・」と思うには、われわれは現実を知りすぎている。