●すること・しないこと

 私の住んでいる周辺、そしておそらく関西以西全般にも言えることだと思うのだが(新燃岳周辺は除く?)、まったくもって、申し訳ないぐらい平穏である。通信事情は悪くない(と思う)のに、親兄弟親類縁者から何の電話も連絡もない(後記:海外の知人からはいくつかあった)

 テレビ・ラジオ・新聞、それにインターネットがなければ、同じ国で大災害が起こっていることなど、想像もしないかもしれない。

 そう考えると、有史以来、遠くの災害を自分の属する集団が直面している問題ととらえるのは、ひとえに情報通信手段の発達によるのだとわかる。
 ほんの200年ほど前の江戸時代なら、直接被害を受けていない地域の住民たちは、どの程度の情報を知り、どの程度の関心を持ち、どの程度共鳴できただろうか。
 いや、国民国家が一応安定してきた明治末期ですらどうだろう。何しろ、まだラジオ放送すらなかったのだ。

 現在はしかし、あらゆる情報通信手段が発達している。皮肉なことに、被災地では得られない情報が、安全な場所にいる者にはいくらでも手に入る。そして、情報は国民国家の垣根を軽々と乗り越え、ほとんど世界中で共有されている。

 だから、安全地帯にいる者は、そういう情報を元に行動する。被災地にいる方々に情報がなく、どう行動していいかなかなかわからないのと対照的だ。

 前者はたとえば、株を売る、円を買う、便乗値上げをする、買いだめ買い占めをする。あるいはまた、消費行動を控える、外出を控える、行事を自粛する。被災地からではなく「日本から」避難したりする。

 もちろん、物資を無償で提供したり、義援金を寄付したりもする。
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 震災後、初めて買い物に行った家人が、「お米が品薄になっている」と言っていた。ニュースでは、被災地で必要になりそうな懐中電灯や乾電池、粉ミルクや紙おむつ、トイレットペーパーやティッシュ類、ガスコンロやボンベ、そして缶詰や即席麺、水などが、関西でも売り切れたり不足したりしているという。

 震災後、初めてお寿司を食べに行った私は、「この1週間、さっぱりですわ」という主人の愚痴を聞かされた。キャンセルも相次ぎ、大損害だという。あるいはまた、来週出張で泊まる予定のホテルも、直接の被災地とは言えないにもかかわらず、キャンセルが相次いで苦戦しているようだ。おそらくは関西や九州でも外食や旅行や出張などを自粛しようという動きがあると思う。

 関西での買いだめ・品薄に関しては、関西で買われて被災地に送られているのかもしれないから、そのこと自体を云々するのはやめよう。また、外食や旅行や出張なども、それぞれの事情や思いがあるだろうから、批判めいたことは言うまい。
 ただ、この時点で、自分ならすること、しないことを書き出しておこうと思う。

○すること
 ・情報収集・情報吟味
 ・地震津波原発に関するちょっとしたお勉強
 ・ふだんの仕事
 ・通常の消費行動
 ・予定どおりの旅行・出張

○しないこと
 ・株を売る
 ・円を買う
 ・買いだめをする
 ・被災地に連絡する(特に電話)
 ・過剰な消費行動
 ・バカ番組を見ること

 他にもいろいろありそうだが、とりあえずこのぐらいしか思いつかない(随時増やしていくことにする)。

 個々人の力は悲しくなるぐらい小さく、「投機筋からの円買い(株売り)圧力」や「自国民の日本からの引き揚げ」なんかに抗する術はない。それでも、多数の個人が通常の活動や消費を続け、市場の混乱を呼ぶような投機・投資を避ければ、いくらかは役に立つのではないかと思う。