●Life goes on...

 東日本が広い範囲で苦難に襲われているさなか、昨日、西日本のほとんどの国立大学では何ごともなかったかのように後期日程の入試が行われ、息子も受験して帰宅した。

 もちろんまだ結果は出ていないが、その試験に合格する見込みはなく、それとは別にただ一つ残っている私立大学の後期日程入試に合格する見込みもほぼない。

 浪人決定である。
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 今回のような災害が起こったとき、それが地球上のどこであれ、基本的に、私が考えること、すること(しないこと)は同じだ。
 直接の影響がある場合はもちろん別にならざるを得ないが、遠いか近いかということは私にとっては本質的な問題ではない。悲惨なことはどこであれ悲惨だ。

 何かできることがあるならするに越したことはない。だがおそらく、無駄な祈りを捧げる以外にできることといえば、幾ばくかの義援金を託す程度のことしかない。

 自分の家の本箱が倒れ、外壁に亀裂が入り、私が親戚だと思っている者のすべてがなにがしかの被害を受けた阪神淡路大震災の時でさえ、できたことといえば、カロリーメイトと水とを携えて神戸の親戚宅をバイクで巡り、安否を確認することだけだった。

 猪名川を越えて伊丹に入ったとたん、世界が一変するのを感じはしたが、その異世界神戸に点在する親戚を巡り、明石の両親宅に着くころには元の世界に戻っていた。

 ときおり余震が続く中、壁の割れた浴室で埃っぽい体を洗い流し、食事をして眠る。不思議なことに、帰りのことはまったく覚えていない。
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 この土日には仕事が入っていなかったが、月曜日はまた仕事である。休みを取っていたのに、打ち合わせを入れざるを得なくなったのだ。
 浪人する息子は身の振り方を考えなければならない。来年の受験先も、受験科目も、予備校なんかのことも、今後のことはまだ何も考えていない。

 金曜日と月曜日で、途切れることなく生活は続く。

 せめてこの2〜3日、息子の身の振り方を考えるのはやめようと思う。やめたところで誰にとっても何の役にも立たないけれど、どうせできることはほとんど何もないのだ。

 それに、あったとしても、進んで献身的になれるほど私は善人ではない。申し訳ないとは思うけれど。