●謎の美少女(長文)

 一日に9本しか来ない列車は、それでも空(す)いていた。

 まして、この列車は、一日に1本しかない、八戸への直通列車らしいのに。
 ___

 そもそも昨夜、今日の切符を買おうと思って駅に出向いた時には、すでにだれもいなかったのだ。
 まさかとは思うが、無人駅である可能性も考えて「駅に人はいますよね」とカーディーラーの人に聞くと、「まだこの時間ならいると思います」という返事だったのに。

Dsc04453_169 窓口には、18:50分をもって営業終了の文字があった。下りはともかく、上りの終電だって19時42分である。「切符の購入は券売機で」と書いてあるのだが、ちょっと触ってみたものの、大阪までの切符が買えるわけもなかった。

 その他、いろいろ珍しいことの多い駅であったが委細は省略する。

 ともかく、その中に、列車の乗り降りに関する細かい指示のポスターがあり、2両編成で6つあるドアのうち、ただ一つだけを乗り口に、別の一つを降り口に使えとか書いてあったのが印象に残った。
Dsc04454_169 ほとんどミステリーワールドである。
 ___

 今日、列車に乗ろうとすると、ホームにも、「ご乗車のお客様はこの付近でお待ちください 駅長」という表示があった。
 そこからしか乗れないのだろうか。そして、「駅長」というのは、さっき窓口で切符を売ってくれて、その後改札係に変身したあの男性のことなのだろうか・・・

Dsc04508_169 考えているうちに列車が来て、他の人に倣って先頭車両に乗り込む。

 4人がけの対面式座席が中心の車内は、そこに1人ずつが座っているような状態だ。後から乗り込んだ自分の選択肢は「だれの邪魔をするか」ということになってしまう。もちろん、だれの邪魔もしたくはない。
 ベンチシートもあるが、大荷物を持ってゆったり独占できるほどではない。後ろの車両はもっと空いているかもしれないと思い、少し歩くとすぐ最後尾まで来てしまった。2両しかないのだから当然である。

 幸い、進行方向左側の長いベンチシートに余裕があったので、その真ん中あたりに座を占めた。向かいには女子高生らしき女の子が座っている。

 その時は、「こんな最果ての地(失礼!)にも、イマドキの子が暮らしてるんだなあ」と思っただけだった。いかにも都会的で垢抜けた、街の少女に見えたのである。

 列車の中も外の景色もいろいろと珍しいことが多く、カメラ片手にときどきうろうろする。
Dsc04512_169 バスの中で見るような整理券の発行機や料金表示器、「運賃箱」などまであるのだ。↑のポスターには「切符を持っていても整理券を取れ」とか書いてあったのだが、だれも取っていないみたいだったし、取ろうとしても取れなかった。

 正面右上には、「大湊線アラカルト(2)」と題したパネルがあり、それによると、私が乗った下北駅は本州最北の駅なのだそうである。やれやれ、鉄道駅のあるところで車が故障したことをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

 向かいの子は、ケイタイで音楽を聴きながらうつらうつらしているようだ。きちんと制服を着て膝にはグレーのカーディガンを置いている。横には、通学カバンがあり、その前にはふわふわしたピンクの小物入れが見える。
 なるべく見ないようにはしていたのだが、真正面なのでどうしても目に入り、2〜3度目が合ったので、慌てて逸らしたりしていた。

 通学なのだろう。
 どこまで行くのかなと考えはじめたのは、東北本線になる野辺地という駅に着くあたりからだったろうか。もう9時近いというのに、遅刻しないのだろうかと思ったのである。

 言い訳めくが、綺麗な女の子の正面だったから座ったのではない。私はふだんから、むしろ女性の近くはできるだけ避けるようにしている。若い女の子の近くならなおさらだ。

Dsc04517_169 見ないようにするには無理して首を曲げなければいけない。うつむいて寝るとかできれば良かったのだが、昨日はホテルでゆっくり寝たし、景色も新鮮でもったいない。

 ずっと景色を目で追っていたのだが、どうしても正面は目に入る。動きがあれば特に目を引く。

 見るともなく見ているうち、いったいこの子はどこへ行こうとしているのだろうという疑問がどんどん膨らみはじめた。

 最初はすぐその辺で降りるのだろうと思っていた。どう見ても通学途中だし、ちょうど平日で学校も始まろうという時間だ。
 だが、9時近くになると、いろいろな想念が浮かんでは消えるようになる。

・こんな時間から学校が始まるはずはない。
・いや、交通事情が事情だから、学校の始業時刻を遅くしているのかもしれない。
・しかし、他に高校生がいるふうでもなかった。
・もしかしたら模擬試験でも受けに行くのだろうか。それなら八戸まで行っても不思議ではない。
・それにしても彼女だけ?

 そういえば、高校3年生に見える。かつて高校で教師をしていたから、その辺の鑑識眼にはちょっと自信があるのだ。

 ときおり、ケイタイを取り出して画面を見たりメールを打ったりしているようだ。
 あれ? ケイタイ? じゃあ、膝の上のは音楽プレーヤーなのか? それともケイタイを2台持っているのだろうか。取り出したのは折りたたみ式、音楽を聴いているのはスライド式である。どちらもピンク系。横の小物入れといい、どうやらピンクが好きらしい。

 いつのころからか、この子が絶世の美少女に見えだした。

 色白で瓜実顔。くすみひとつない綺麗な肌。くっきりした目鼻立ち。それでいて、暖かみのあるいい顔をしている。
 特に、うつむき加減でプレーヤーやケイタイをいじっているときなど、はっとするような美を感じる。強いていえば、ほんの少し違和感を感じるのは、眉だけだ。
 横に置いたカバンといい、容姿や服装といい、一幅の絵になっている。座っている席の構造も、額縁の役割を果たしている。

 だが、電車内外のいろんなものをカメラに収めながらも、ヒトだけは撮影することが出来ない。まさか、「写真を撮ってもいいですか」なんて聞けないし。
 ほんと、そのまま油絵にでもなりそうなのに。
 ___

 列車が東北本線に入ったころ、一度少女がイヤホンを外した。1時間近く真正面に座っていて、お互い存在は認識しているのだから、「どこまで行くの?」ぐらい聞くことはできたかもしれない。ましてこちらは旅支度丸出しの旅行者だ。
 しかし、どうしても話しかけられなかった。知らない女性に声をかけるなど、旅先であれどこであれ、まったく経験がない。

 以前、これも絶世の美女と特急列車の二人がけの席で5時間も6時間も並んで過ごすことになったことがある。そのときも、ひとことも話はできなかった。ひどく列車が遅れていたので、「いつ着くんでしょうねぇ」でも何でも、きっかけはいくらでもあったにもかかわらず、である。
 ___

 列車はどんどん進む。「もはや模擬試験しかありえない」と思いはじめたころ、「もしかしたら受験かも」と、ふと思いついた。最近は年内にもいろいろな受験機会があるのは知っている。
 ただ、受験に制服なんか着ていくだろうか。うーん、女の子の中にはそういう子もけっこういるかなあ・・・ それに、今の時期の受験なら、面接なんかもあるのかもしれないけれど。

 でも、それにしてはあまりに軽装備過ぎる。この時間から受験ということになれば、どう考えても一泊して明日、だろう。なのに、ふだんの通学の服装と荷物だ。
 それに、この子からは非日常性というものがまったく感じられない。窓外の風景に目もくれず、音楽を聴いてはときおりまどろんでいる様子は、毎日この列車に乗っていることを物語っているとしか思えない。

 そして・・・
 まったく勉強する気配がない。模擬試験だってどうかとは思うのだが、受験なら少しは参考書や単語帳でも広げるのではないかと考えた。
 いや、自分の受験の時はどうだったっけ・・・?

 ともかく、説明するのは難しいが、全身にみなぎる「日常性のオーラ」は、やはり通学であることを強く主張する。
 人は、乗り慣れていない列車の中で、こんなにもくつろぐことはできないものなのだ。
 ___

 ありえないような偶然がいくつも重なり、こうして同じ空間に存在することを不思議に思う。いや、いつもだってそうなのだが、今回ほど、私がこの時間、この場所でこの列車に乗っていることがありえなかったことはない。

 そもそも、本来は今ごろ仕事でオーストラリアにいるはずだったのだ。
 そして、予定が空いたからとはいえ、間際まで旅行に出ようとは思っていなかった。東北に行く可能性も低かったし(何しろ遠すぎる。朝が遅かったせいもあり、一日走っても青森までたどり着けなかった)、恐山に行ったのは息子が行けと言ったからだ。その後、大間崎に向かっていなければ、故障したのは青森市内あたりになったろう。いや、それ以前に、ひょんな偶然から知った仏沼に寄ったりしなければ・・・
 もちろん、こんなところで車が故障して、しかも原因すらわからないなど、想像もしなかった。

 思えば、東京より向こうで列車に乗ること自体、生まれて初めてなのである。

 同じ空間には他の人もいた。
 しかし、たまたま一番広く空いていた席が真正面だったこと、そして彼女が綺麗だったこと、そして何より、「いったいどこへ何しにいくのか」という疑問が浮かんで解決できなかったことに、不思議なものを感じるのである。
 ___

 と、彼女の指が動いた。単にリズムを取っているだけではない。明らかに両手でピアノを弾いている。もしかして、音大でも受けるのだろうか。いや、それでもやはり、「日常性」の謎は解けない・・・

 列車は終点の八戸に近づく。

 少女は、カバンからルイ・ヴィトンの紙入れを取り出し、中の切符を確認した。私が持っているようなのを、少なくとも2枚は持っているようだ。
 この列車に特急券などは必要ない。ということは、彼女も八戸より遠くまで行くということなのか。新幹線に乗って? まさか・・・

 しばらくして、ピンクのかばんが実は小物入れではないことに気づいた。上部が「へにょっ」と前に倒れてきていて長方形に見えていたのだが、それは背中に当てる部分を向こう側に向けて置いたリュックサックであり、こちらに倒れてきているために裏側の2本の肩ベルトが見えていたのだ。
 (ほら、今ごろ気づくあたり、けっしてじろじろ見ていなかったということがわかるでしょ)

 八戸駅に近づくと、耳からイヤホンを外した少女は、プレーヤーにくるくると巻き付けて、降りる支度をはじめた。

 わたしはもう、膨らみすぎてはじけそうになった疑問を抑えることができなくなっていた。切符さえ見なければ、八戸で模試、で自分を納得させたかもしれない。しかし、人一倍強い好奇心は、どうしても切符の件を解決したくなってしまった。
 確か以前、探偵!ナイトスクープで、街行く人の一人一人にどこへ何の目的があって移動しているのかを聞いてくれという依頼があったと思うが、私の感覚もそれに近い。ときどき、片っ端からみんなにインタビューしたい衝動に駆られることがあるくらいだ(もちろん、そんなことをしたことも一度もない)。
 ふだんそんなことばかり気にしていると気が狂いそうになるから忘れているけれど、今回はほんとにいろんなことが特別だったのだ。

 目が合う。単純なことを聞くだけで、清水の舞台から飛び降りる気分だ。

 「ごめん、ちょっと聞いていい?」
 「はい」と言ったかどうか定かではないが、目がくりっと見開き、かすかにうなずいたと思う。
 「どこまで行くの?」
 「東京です」
  東京・・・ 一呼吸。
  もうひとつ聞くだけで、疑問は氷解する。思い切って
 「何しに?」
 「受験です」

 やはり、というべきか。
 「日常性の謎」は残ったものの、それはまあ仕方がない。彼女ぐらい落ち着いていれば、受験だって何だって、問題なくクリアするだろうと思う。
 明日、なんですね。成功を祈っています。
 ___

 問題はここからだ。今日のこのできごとは、きっとここに記すことになる。どうせなら、それを読んでもらって、彼女が感じたかもしれない「妙な男の人」(もっとひどい表現は自粛します)という印象に対する言い訳にしたくなった。

 この文章が成功しているとはとても思えない。むしろ、彼女だけではなく、全世界に向かって私の怪しさをアピールしているような気さえする。いや、ほんとに怪しくないんだってば。

 だが、あのとき私が取った行動ほど、「怪しさ全開」のものはなかったのではないかと今になって思う。

 なぜそんなものを持っていたのか、私のリュックの中には名刺入れがあり、そこには仕事用のものだけではなく、このサイトのURLを記したオオルリの写真のものがあった。

 「怪しくなさ」をアピールするために、仕事用の名刺と一緒に渡そうかとも思った。これでも私は、いちおう社会的に信用されるような仕事をしているのだ。
 でも、いきなりそんなものを渡されても彼女もびっくりして戸惑うだけだろう。ほとんど鳥の写真だけみたいな名刺を渡されても戸惑いの大きさが変わらないことには、この際目をつぶるしかない。

 ともかく、どうして私が今ここにいて、偶然にも君の前に座ることになったのか、そして、顔をつきあわせていた1時間半の間に私の中で何が起こっていたのかを知ってもらいたくなったのだ。

 鳥の名刺を手にしたものの、さすがにしばらくはためらって渡せなかった。
 列車は八戸に到着する。さっさと降りてしまおうと席を立つ。ドアが開かない。ボタンを押す。大荷物なのでドアから少し離れていったん荷物を置く。
 と、そこへ、当然のことながら彼女が降りてきた。

 気がつくと、「すみません」と声をかけて、「よかったら読んでください」と渡していた。まるで、高校生が初恋の人に手渡すラブレターである。彼女はもちろん、受け取っていいものかどうか戸惑っていたが、一瞬の後、受け取ってくれた。
 「たぶん、書くと思うので」・・・って、何のことかわかるはずもないじゃないか。
 ___

 東京へ行くなら、新幹線も同じであることは自明だ。だが、彼女を不安がらせてはいけないので、私はその場にとどまり、乗客がみんないなくなってから、最後にホームを後にした。幸い、乗り換え時間はたっぷりある。

 まさか、運命のいたずらで、新幹線も近くの席・・・ということはやはり起こらなかった。もしそうなっていれば、彼女の「日常オーラ」の謎について聞くことができたのに。もしかして、しょっちゅう東京とかに行ってるんだろうか。
 私のほうは「はやて」という新幹線の名前すら聞いたことがないような気がする。

 発車5分前ぐらいにホームに降りて、自分の車両に向かっていると、彼女が一人で立っているのが目に入った。探していたのではない(いや、ほんと)。ピンクのカバンが目を引いたのだ。

 何もいわず、会釈して距離を取りながら前を通りすぎたのだが、彼女は気づいていないようだった。わたしの席とは、2〜3両離れていた。
 ___

 立場が逆ならどうしただろう。怪しい男が渡した名刺などすぐゴミ箱行きだろうか。いや、私なら好奇心から絶対に読んでみる。いずれにせよ、危険は何もない。
 でも、下北の美人女子高生が何をどう考えるのか、手がかりも何もないのだ。

 新幹線が走り出してしばらくしてから、突然、彼女の眉にほんの少し違和感があった理由に思い当たった。
 たぶん、ふだんは化粧をして、眉も描いているのだ。明日受験の面接があるから、今日は化粧していないのではないか・・・ そんなことを思っても、もちろん確認には行かなかった。
 ___

 彼女はおそらく東京の大学に進む。よくもまあ、両親がそれを許したものだ。彼女が自分の娘なら、たぶん全力でやめさせようとしただろう。それでも、結局は娘の気持ちを考えて、希望を認めてやれるだろうか・・・
 ___

 今日のことは、東京へ行く君へのひとつの経験になったと思う。
 君に声をかけるのは、誓って悪意のない、人畜無害の私のような男ばかりではない。むしろ、さまざまな危険や悪や誘惑が君を襲い続ける。こういうとき、美貌というのはむしろ、そういう困ったものを引き寄せる役にしか立たない。
 いや、いくら最果ての(ごめんね)高校生でも、美少女に生まれつけばもうそのことには気づいているかもしれない。でもやはりもう一度言っておこう。「都会は怖いところなんだよ」って。

 何の縁もないけれど、幸せになってほしいと思う。今も十分幸せそうだし、君なら何もかもうまくいきそうな気はするけれど・・・
 ___

 エピローグ:

 丸一日かけて帰宅して、ここを開けて驚いた。早速、彼女からのコメントが入っている。再度、コメントありがとう。やっぱり、イマドキの女の子でしたね ^^; それにしても、ここってケイタイでもちゃんと読めてコメントもできるんですね・・・ メールアドレスは見えないみたいだけれど。windcalmskc@yahoo.co.jpです。コメントも、公開しない方がよければ公開しませんが・・・
 サイトはパソコン用に最適化されてるので、またパソコンでも見てください。
 美人の読者が一人増えて、こんな嬉しいことはありません\^^/