●春なのに(その2)

 今朝、息子を祖父母宅に送っていく途中、桜が咲き誇っているのに驚いた。木によってはもはや満開である。

 確か、昨日までは桜が咲いているという認識がなかった。一晩で急に咲いたのだろうか。
 あるいはそういうこともあるのかもしれない。だが、昨日までは気づかなかったという方が蓋然性は高いと思う。
 でも、こんなに桜が咲いていて気づかないなんてことがあるんだろうか。家の前は桜並木(大袈裟)なのである。

 今、家族に確認してみたところ、家の前の道の桜はまだあまり咲いておらず、ほころんでいる程度なのだそうだ。してみれば、昨日は咲いた桜の前を通らなかっただけのことなのか? 桜の木も多い2つの職場を往復したり、けっこうあちこち走りまわったんだけれど。

 珍しく忙しくて、周りの風景が目に入っていなかった可能性はある。いや違うな。職場の(たぶん)梅の木が咲き誇っているのに気づいて写真を撮ったのは昨日だ。だとすればやはり、昨日通りがかった場所の桜がまだ咲いていなかっただけのことなのか。
(今日になって、同じ木にカメラを向けていた女性に「この木は梅ですよね」と聞くと、「桃ですよ」と教えていただいた。ただし、現在のプロフィール写真はミツマタです。念のため。)

 でもやっぱり、家族に聞かなければ家の前の桜並木が咲いているのかどうかすらわからないというのも事実だ。余裕のない日々だった。

 昔教師をしていたころは、3月(特に後半)は比較的暇だったような記憶があるのだが、今の職場に就職してから十年あまり、3月が暇だった記憶は一度もない。
 むしろ雑用に追われて「本来の仕事」がまったく何もできなかったという記憶ならいくらでもある。今年もまさにそうだった。
 キカイの故障と遠い方の職場の引っ越しにも追い回された。

 春なのに、個人的にもろくなことはなかった。久しぶりの家族旅行が唯一の救いだったが、何だか、すでに遠い昔のような気すらする。

 そうそう、家の前の桜と言えば、自宅前のかなり立派な桜の木が枯死しているのではないかという話を、家人が隣家の奥さんから聞いてきた。
 もちろん、うちの桜ではなく市の管理している木だと思うのだが、その木の存在が、数少ないうちの長所だったのに、である。

 春なのに、もはや桜も咲かない。

 が、何といっても年度末。今日でほぼ年度内の仕事を終え、同じく仕事に追われて夕食を作る元気のない家人と、もちろん息子も連れて、いつもの(というほど行ってない)トラットリアに行ってきた。

 通い始めた、たぶん十数年前からずっといる料理人が今月で辞めるというので、久しぶりに夜に出かけたのだ。アマトリチャーナや手長エビやカキのパスタは、その料理人の手になるものだった。おそらくこれで食べ納めとなるだろう。マスターが作ったものとの違いがわかるほどの客ではないけれど。

 話は戻るが、職場でも、重要な人物が何人もいなくなる。あまりの変化に現実感が追いつかないせいか、感傷もない。
 所詮は組織なので、これからも同じように回っていくのだろうとは思うのだが、これまでの異動・退職とはちょっと違う。まあ、新年度になってみなければどうなるのかはわからない。

 あ、夕方、遠い方の職場で年下の女友達と偶然会った。会ってもおかしくはない場所だとはいえ、誰かとこういう会い方をするのは2〜3年に一度しかない
 もう、少なくともしばらくは会えなくなることもわかっていたし、向こうも一応、こういう偶然を嫌がってはいないようだったので、頭の中ではお茶でも飲めるかと可能性をいろいろ考えていたのだが、2人だけでというのも気がひけるし、仕事を片付けておかねばという気分も強く、ものの30秒で別れた。

 まあ、「お茶でも」と誘って「時間がないので」とか言われるよりはよかったかもしれない。
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 別れの季節は終わり、出会いの季節が始まる。同じ春だけれど。