◆「不法投棄促進法」のツケ

 ちょっと高槻の山に出かけてきた。以前にシカフクロウと出会った道だ。

 ほんのしばらく行かなかっただけなのに、見事に様変わりしている。もう、考えられる限りそこらじゅうにという感じで、「不法投棄禁止」の看板だらけだ。

 ちょっと車を寄せられそうとか、すれ違いに使えそうとかいうような場所にはロープを張ったりバリケードを置いたりして、そもそもその場所に近づけないようにしてある。ロープは黄色と黒、それにぶら下げられた札はオレンジ色、といった具合で、景観を損なうことおびただしい。

 実際、歩きながらちょっと道の脇に目をやると、冷蔵庫だのテレビだの、果ては自動車までが捨てられている。それがなくなるのなら、この無茶苦茶な景観破壊も、あるいは我慢しなければならないのかもしれない。それほど効果はないと思うけど。

 それにしても・・・

 急に不法投棄が増えた理由ははっきりしている。いわゆる家電リサイクル法だ。法律成立前からその欠陥が言われていたにもかかわらず、施行されてしまった。結果は予想通り。リサイクル法というより、「不法投棄促進法」になってしまっている。

 モノを捨てる時に何千円か払え(下手をすると輸送費を含めて1万円近くなるようだ)なんて言ったら、その辺の山に捨てるヤカラがたくさん出てくるのは目に見えている。
 産業廃棄物ならそれでもまだ目配りできる可能性もあるが(現実にはそれさえ不可能であることは周知の通り)、末端の消費者が各人1つずつとか2つずつとか捨て始めたらもうどうしようもなくなる。そして現に、どうしようもなくなりつつある。その結果が、あの高槻の山だ。

 われわれの住んでいる社会は、各人が自分のトクになるように行動すると、全体としてはうまくいくはずだ、というシステムを基本的には採用している。
 お金が欲しいから一生懸命働き、儲けたいから商品の開発にしのぎを削る、人間とはそういうものだと考えて、それを奨励する社会だ。
 もちろん、いまどき(というかいつの時代でも)レッセフェールというわけにも行かないから、さまざまな工夫を凝らさなければならない(もうすぐやめる首相は工夫するのがイヤなようだけれど)。

 だが、いずれにしても、要は利己的に行動する性悪説的な個人を前提しているはずである。でなければ資本主義は成り立たない。

 なのに、「環境を守るために、テレビを捨てるときにはウン千円払ってね」というような法律を作る。バカか。
 たとえ5%でも、いや、1%でも、「ウン千円払うのはイヤだ」と思って不法投棄するヤツがいたら、この国の谷は古いテレビや冷蔵庫で埋まってしまいかねない。
 仮に1%でも、家電リサイクル法対象4品目のみで、1年間で実に20万台!程度にもなるのだ。

 ギョーカイの圧力に負けて欠陥法を作ってしまった事情はわかる。だったら、今からでも遅くはない、景気がいい(ほんとか?)今こそ法律を改正して、購入時にリサイクル費用を払うシステムに変更すべきである。
 モノが欲しいとき、払わないと手に入らないのなら、利己的な個人は払うのだ。

 それにしても、この欠陥法を教訓にして、自動車リサイクル費用の徴収時期を廃車時にしなかったのは不幸中の幸いだった。クルマが不法投棄されたら、テレビより始末が悪い。