■存在しない事実

 私たちはほとんどの情報をマスコミから得ている。自宅からつい数十メートル離れた家で火事があったことも知らぬ朝、新聞でイラク情勢を読んでいたりするのだ。

 だから逆に、報道されない事実は、存在しないのと同じことになってしまう。厳密な意味で「報道されない」ことはなくても、扱いが小さかったりして私たちの目にとまらなければ、それはいわば「存在しない事実」となる。

 たかだかこの10年以内に、例えばコンゴスーダンソマリアアンゴラで殺された人たちが何人いるかご存じだろうか。あわせると実に数百万人!になる。こう書いていても自分でも信じられないほどの数字だ。
 最近の朝日新聞によると、コンゴだけでも150万人だという。死体を隙間なく仰向けに寝かせていけば、東京大阪間を埋め尽くしてしまうほどの人数だ。

 比べるべきではないのかもしれないが、イラク戦争での死者(大半は「戦闘作戦終結後」だが)はおそらく5万人に満たない。しかし、マスコミ報道におけるその扱いの差は、逆転しているどころではない。
 さまざまな意味で、イラク問題の重要性はわかる。しかし、いくら何でも、この圧倒的な報道量の差はバランスを欠きすぎてはいないか。

 つい先日には、南シナ海を大型台風が襲い、死者・行方不明者が少なくとも300人近くに達しているという。が、これを扱っている日本のマスコミは、もしかすると皆無なのではないか。
 被害に遭っているのは、中国・ベトナム・フィリピンといった、近隣国の人々である。人数も決して少なくはない。インドネシア地震より1週間以上前のことだから、地震報道でかき消されたということもない。それなのに・・・

 私自身、知人(ベトナム人だ)から聞くまで知らなかったので、ネットでニュース検索をかけてみたが、日本のマスコミが取り上げた例はただの一つも見つからなかった。日本語で報道しているのは、中国系メディア、ロイター、CNNだけである。その数も扱いも大きくない。

 これもまた、今回のインドネシア地震報道と比べて明らかにバランスを欠いている。確かに死者は10倍以上になるかもしれないし、日本人が地震のニュースを身近に感じるのもわかる。しかし台風のニュースだって、ひとたび日本で起これば、人的被害がなくてすら、大々的に取り上げているではないか。

 数少ないネタに飛びついて、集中豪雨的報道をするばかりが能ではない。そうやって耳目を集めていてすら、結局はすぐ忘れてしまうのに。パキスタン地震のその後はどうなっているのだ?

 マスコミは、「自分たちが報道しない事実は、存在しないことになってしまうかもしれない」ことにもっと自覚的であって欲しい。意識的・無意識的に消された事実の中に、そうするにはあまりにも大きすぎるできごとが多数含まれすぎている気がしてならないのだ。

 そしてまた、自ら情報を探索できるツールを手にしているわれわれも、もはや単なる情報の受け手ではなくなっていることを自覚せねばならない。その気になって探せば、存在しないかのように見える事実を掘り起こすこともできるし、ささやかながら、こうしてその事実を外部へ発信することもできるのだから。

 疲れるけど・・・