◆愚劣さ競演

 「神社への往復に限れば職務に関連した行為といえるとしても、参拝した一連の行為が全体として職務として行われたとまではいえない」(東京高裁千葉靖国訴訟判決:『朝日新聞』)

 頭がヘンになりそうである。神社への往復が職務であり、参拝はそうでないというのなら、その神社往復の職務は何のために行われたのか? 「私的参拝」をするために、「職務として」往復したんですね、はいはい。
 何かふつうの人にはわからない、深遠な司法の闇というものがあって、それは東京高等裁判所の裁判長!にでもならなければ理解できないのかもしれない。

 一方の大阪高裁判決。

1.公用車を使用
2.首相秘書官を同行
3.「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳
4.総理大臣就任前の公約としての参拝

等の明確な理由を挙げ、小泉首相の一連の靖国神社参拝を違憲と判断した。明快だ。
 自分の出世に響くかもしれないからと、事実の歪曲や曲解を駆使して国に不利になる判決から無理矢理逃げる、一部裁判官の対極の姿がここにある。

 それにしても、ケッサクだったのは、憲法学の教授だという某の話:
「・・・判決は首相の靖国神社参拝を違憲と決めつけた極めて政治的で恣意的なものだ」

 このヒト「政治的」の意味をわかってるのだろうか? 仮に判決が「合憲」とするものだったにしても、それが政治的なのはあまりにも当然のことである。「政治的」をごくごく狭く解釈してすらそうだ。
 いや、どんな判決であれ判断であれ、あるいはわれわれの日常のごく些細な行動や言動であっても、すべては「政治的」であることは、もはや、ちょっともののわかった者には自明のことなのだが・・・

 この某とかいう教授、自分の気に入る判決が出たら、それを「政治的」とは呼ぶまい。気に入らない判決を「政治的」と呼んで非難した気になっているのだ。その自分の発言は「政治的」ではないというのだろうか?

 こんな「教授」に教えられる学生に心から同情を禁じ得ない。