●ヨン様狂騒曲から

 東京の六本木ヒルズに宿泊していた韓国の俳優、ペ・ヨンジュン氏が、善意からファンの前に姿を現したところ、氏をめがけてファンが殺到し、「もみあいで転ぶなどした10人が軽いけがをした」(朝日新聞)という。軽傷で幸いだ。だから以下のつまらないつぶやきも書くことができて、これまた幸いである。

 この10人全員が「40〜50代の女性」(同)だという。すごい偶然、ではないだろう。それにしても、「全員」には参った。30代すら一人もいないのだろうか。ファンのほとんどが40代以上というのは、32歳のヨン様にしてみれば、複雑な心境だろう。

 ただ、ここで書きたいのは年齢の問題ではない。何歳であれ、対象が何であれ、自分の現実とは無縁のものに熱狂できること自体が私にはわからないのだ。ほぼ確実に(「絶対に」といってもいいんだけど)自分には手の届かないものには、初めからあまり興味が湧かない。まして熱狂するなど考えられないことである。
 いや、ご婦人方を皮肉ったりバカにしたりしているのではない。そうではなくて、だから私は「幸せの敷居が高い」(↓のエントリ参照)のだろうと思うのだ。ヨン様が来日しているからといって、無駄足になるのを覚悟の上、その姿を一目見ようと出かけられる人は幸いである。まして、姿を見て涙を流さんばかりに(というか、実際に流したりしているようだ)感動できるなら、もうこれほど幸せなことはない。
 そういう人たちって、たぶん、他のことでも幸せをいっぱい実感できて、楽しい人生を送っているんだろうな、と羨ましい気分になる。

 ・・・手の届くものは手に入る。しかし、所詮は手の届くものだ。すぐに熱は冷めてしまう。だからといって、次々と別の手の届くものに手を出していけば、家の中はあふれかえり、大量のゴミが出て、無駄にガソリンを焚き(笑)、時間もお金も浪費する。それに第一、そんなことをしてもそれほど楽しくはない。
 一方、手の届かないものには興味が湧かない。それを目指すことはないし、ましてや届かないのを承知で熱狂することもない。

 思えば、自家用機を操縦するというのは、手が届かなかったはずのものが、案外あっさりと届くものになった稀有な例であった。訓練期間中は大変だったが、それも今となっては楽しい思い出だ。だが、手の届くものへの熱は持続しない。これはほとんど性格的欠陥である。

 海外への旅だけが、かろうじて持続している楽しみである。これはたぶん、手は届くのに滅多に行けない、という微妙なバランスの上に成り立っている唯一の事柄だからだろう。もっと自由にしょっちゅう海外に行ければいいのに・・・としばしば思うが、これはだから、叶ってしまえば不幸の種を増やす類の夢なのかもしれない。

 おそらく、「熱狂の敷居を低くすること」も「ハッピーになれるコツ」なのだろう。いや、だから、コツはわかってるんですってば。