■目に余る誤訳

 書き出すとキリがないし面倒くさいと思って今までほとんど書いたことがなかったのだが、直前のエントリに触発されて、つい先日「これはいくら何でも」が2つ続いたことを書く。
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 映画の吹き替えや字幕、特に字幕には制約が多く、元の台詞の1/3も訳せていないみたいなのがよくある。他にも、大胆な意訳や「超訳」もしばしば見受けられる。というより、省略と超訳が基本線みたいなところがあって、それは確かに仕方ない面もあると思う。
 ただ、その制約の中でも「もっとこう訳した方が」というのが非常に多い気はするのだが、それはこの際 問うまい。

 問題は、明らかな誤訳である。

 先日、「ER 緊急救命室」を見ていると、ヘリコプターのパイロットが "I'm gonna shut down for autorotation." と叫ぶ台詞があった。エンジンに異常が生じたので、安全に降下すべく、「オートローテーションを行うために(for autorotation)エンジンを止める(shut down)」、という意味である。

 オートローテーションというのは、ヘリコプターのエンジンを切って動力のない状態にし、自重で地面に近づいていく過程で、ヘリのローター(羽根)が風を受けて自然に回ることを利用して、その抵抗を使って安全に不時着する技術である。

 知り合いによると、大袈裟に言えばヘリの操縦訓練の半分近くはオートローテーションに当てられるというような話であった。
 「半分近く」というのはいくら何でも誇張だと思うけれど、ある程度の高度か速度があれば(両方あるのが理想)、ヘリコプターはエンジンが止まってもそうやって安全に降りられるように設計されており、操縦者もその訓練をしっかりと受けている。

 実際、ER のヘリも、誰も怪我することなく無事地上に降りた。

 その "I'm gonna shut down for autorotation." (「オートローテーションのために(エンジンを)切る」)の字幕が、なんと、

  「オートローテーションを中止する!」

であった。

 どうしてプロの翻訳家がこんな初歩的な誤訳をテレビで放送してしまうのか。

 「"autorotation" という「専門用語」の知識がなかったから」などというのはまったく言い訳にならない。そんなもの、1980年代の『リーダーズ英和辞典』(研究社)にだって載っている。
 さらに、万一その意味がわからないとしても、"shut down for autorotation" なのだから、「オートローテーションのためにシャットダウンする」という構文なのは明らかだ。
 この文型で autorotation を shut down の目的語にして訳すなど、ちょっと気の利いた生徒なら高校生でもやらないような間違いである。
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 「まさか、スクリプト(脚本)を見ないで聞き取りで訳しているとか、意味は何でもいいから雰囲気だけわかればいいとか、そんなことはないだろうなあ」と思って検索すると、まさに ER の翻訳者本人が、いかに苦労して訳しているかという講演をしている記録が見つかった。

 それによると、もちろんスクリプトを手に入れて、数多い制約の中、いかに努力して完璧な翻訳を心がけているかという話が、これでもかというほど述べられていた。特に、医学用語や表現に関しては医学監修者と綿密に打ち合わせて正しくかつ自然な日本語になるよう努力していたそうだ。

 もちろん autorotation は医学用語ではないが、それにしてもあまりにお粗末だし、この間違え方はいわゆるケアレスミスではない。
 字幕や吹き替えの制約も言い訳にならない。

 「オートローテーションを中止する!」と訳せるなら、
 「オートローテーションを開始する!」と正しく意訳できるはずだ。

 もし意味がわからないなら、いっそのこと「不時着する!」とでも訳せば、通常の字幕としてはぎりぎりセーフではないだろうか。
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 このような、「どうしてこんな・・・」と思うレベルの誤訳が、字幕にはしばしばある。冒頭に「書き出すとキリがないし面倒くさい」と書いた所以だ。

 ネットを見ると、字幕の大御所をはじめ、プロの翻訳家のお粗末な誤訳の例がこれでもかというほど指摘されている。
 (大御所を除けば)多くの場合、「忙しすぎて、時間がなくて、やっつけ仕事をしてしまいました」みたいなことなのかもしれないが、「それにしてもひどい」というのがネット世論のようで、私もそれに同調せざるを得ない。
 いったい、どんな人たちが翻訳しているのか、また、それほどの誤訳を積み上げても一線で活躍し続けられる理由は何なのだろうかと考え込んでしまう。
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 映画やドラマの誤訳の話はこれまでほとんど書かなかったし、この件もここに書くつもりはなかった。
 書く気になったのは、次の回の ER の放送で、またとんでもない誤訳を見つけてしまったからである。まあしかし、これはケアレスミスなのだが、

A:レガスピー先生よ
B:写真家の?
A:ええ
B:必要ないわ(※筆者注:←の訳は記憶による)

 見ていて???が頭の中で点滅した。レガスピーが写真家だとかいう話があったっけ? どうして "Psychiatrist?"(「精神科医?」) を「写真家の?」って訳すんだろう?

 (皆さんはすぐわかりましたか? 私は10秒近く???が続きました。その後やっと、「せいしんか」を「しゃしんか」と間違えていることに気づきました。)

 まあ、上にも書いたとおり、これはケアレスミスである。
 ただ、字幕を入力した人の単純ミスかと思ったら違っていた。何と、吹き替えに切り替えて聞いても、声優がばっちり「しゃしんかの?」と発音していたのだ。どうしてこの場面で唐突に「写真家」が出てくるのか? 誰かどこかで気づかなかったのだろうか・・・

 この「連続技」があって、前から溜まっていたフラストレーションをここで一度は晴らしておきたい気分になってしまった・・・
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 翻訳のご苦労は大きいと思う。でも、視聴者はそれを頼りに見ているのだ。もとの言語がわからなければ(ある程度わかる場合ですら)、翻訳した日本語がその映画やドラマ「そのもの」になってしまう。
 その日本語が、まったくの素人から「これでもか」というほど間違いを指摘されるようなものであっては困るのである。私たちは脚本すら見られないのだ。

 「人間のすることだからミスはある」という程度なら、ネットの誤訳騒ぎはあれほど盛り上がらない。