●「今日はこれからどないしよ?」
お昼は、まだ3度目の洋食店。
2度目の前回、絶品だったパスタがなくなっていて、しかたなくシーフードピラフにしたのだが、これがまた絶品。
選択肢が少なくて3度目も同じものになり、気のせいか当然か、前回の感動はない。
しかし、一から丁寧に作って650円(サラダ付)。今どきのランチの値段ではない。
それはともかく、ふだん行かないタイプの店なので(下町?の洋食屋)、よく行く店とは明らかに客層が異なる。
近所のおばちゃんふうの2人が帰った後は、先客のおじ(い)さんと、後から来た初老の男性。ふたりともタバコを吸う(うわお!)
明らかに常連の顔見知りで、L字カウンターの端と端に座っているにもかかわらず、マスターとマダムを交えて親しげに会話する。
会話の端緒は、マダムの「今日はこれからどないしますのん?」だった。
それを聞いて、おじ(い)さんの隣一つ空けて座っていた私はちょっとぎょっとした。
明らかに、「今日も暇で、何もすることないんでしょ」というニュアンスを含んでいたからだ。
もっとも、からかいやら悪意やらは感じられない。新参者の入り込めない近しい距離感があるだけである。
「そやなあ、今日はこれからどないしよ?」
「図書館行って本読んだりしてる人もおるみたいやなあ。わしにはわかれへんわ」
「やっぱり、パチンコか麻雀やな。今日も麻雀にしよ」
会話も麻雀の話題中心だった。
奥の初老の男性は九蓮宝燈を上がった話をしていた。上がったときは、ただの一気通貫だと思っていたというのである(どうも、もと?医者らしい)。
「今日も麻雀にしよ」というおじ(い)さんに、「ひとりで雀荘に行ってすぐ遊べるんですか」と聞きたい衝動に駆られたが、もちろん黙っていた。
うーん、それにしても。
安いとはいえ、洋食屋の常連なのだから、お金に困っているわけではない。その上、パチンコや麻雀をするだけの甲斐性もある。見たところ、健康そのものだ。
そういう人物が、毎日毎日暇で、何もすることがなく、今日は何をしようと頭をひねった?挙げ句、いつものように、パチンコか麻雀・・・
いや、批判するつもりはないし、自分も(パチンコか麻雀ではないにしても)そういう身分になりたくて仕方ないのだが、でも、やっぱりなんかちょっと違和感を拭えない。
世間は低賃金労働者やら失業者やらフリーターやらニートやらであふれかえってる?というのに(あ、ニートはいいのか)。
何より、一番気になったのは、目の前で丁寧な仕事をしておいしいピラフを出してくれたマスターのことだ。
あれだけの材料と手間をかけて作り、フライパン2つと皿2枚とスプーンとコップを洗って 650円。
うーん。
マスターやマダムはどうか知らないが、私が料理を作っていたら、きっと心穏やかではいられない。
いくら、それまで長く働いてきた結果、やっと年金が受け取れるようになってああいうことになっているとしても。
自分も年金をもらえるようになったら(なるのか?)気をつけなければいけないなあと思った。
有意義に遊び暮らしてます!というのは、もしかしたらもっと始末が悪いかもしれないけれど。