◆間を隔てるもの

 「われわれ」の間を隔てるものは(いちばん肝腎な「こころ」の問題を別にすれば)距離でも時間でもなく金銭なのだという気がする。

 たとえば・・・

 行ったことのなかった越前大野というところに出かけたのだが、行くのに3時間とかからなかった。
 「北陸の小京都」と呼ばれているそうである。
 なかなか魅力的な街だったし、お城には行かなかったしで、「機会があればもう一度」と思わないでもないのだが、用がなければ(おそらくない)一生行かないだろう。

 行こうと思えば日帰りだってできるのに。

 行かない理由は何か。
 他に行きたいところがあるからか、時間がかかるからか、遠いからか・・・ 一番の理由は(くどいようだがいちばん肝腎な「こころ」──つまりこの場合どれだけ行きたいか──を別にすれば)やはり「お金がかかる」ことに尽きるような気がする。

 通常時であれば、高速道路料金が往復1万円近くかかる。ガソリン代がざっと8千円、昼食やらで結局2万円になる。もちろん、車の減価償却は別だ(入れると倍以上になる)。

 要は、2万円と1日を費やして行く価値があるかということだが、私の場合、1日を無為に費やすことはいくらでもあるので、それほど問題ではない(人生においてはそれこそが最大の問題であるはずだが)。
 2万円でこんな他のことができる・・・というのが、結局のところ、行かない理由であろう。

 もう一つ。

 久しぶりに「キッチン四季」(滋賀県高島市!朽木栃尾)を訪れた。
 営業しているかどうかで帰宅のルートを変えなければならないので、夕刻6時ごろ、福井・京都の境あたりから電話した。こんなところで電話が通じるのかというような山中だったが、au のアンテナは立派に立つ。
 両脇に雪の積もった真っ暗な道を、氷雨降る中向かうと(「なんかもう真夜中みたいで怖いね」)、珍しくご主人がサーブしてくださった。奥様は風邪をひいてらっしゃるという。

 美しくも居心地のいい空間で一流の料理を味わえるのに(値段だって質を考えれば安い)、6時20分に入って7時半前に辞去するまで、他に客はまったくいなかった。ラストオーダーが7時だから、夕食の客はたぶんわれわれだけだったのではないだろうか。

 出てしばらくはかなり激しい霙(みぞれ)に見舞われたにもかかわらず、自宅に帰るのにかかった時間は1時間15分。

 それぐらいの時間なら、毎日通勤している人だってふつうだろう。だが、キッチン四季に行くのは、数年に一度しかない。
 家を5時に出て6時15分に着き、7時半に向こうを出て9時前に帰ってくれば、別に週末の外食にだって使えないことはない(あ、渋滞すると困るけど)。
 そうしない最大の理由は、往復するだけで4千円以上かかることだろう。

 行くのにお金のかからない範囲に住んでいる人はほとんどいないので、あれほどの空間と料理にもかかわらず、夜に客が入っていないようなことがあるのだ。
 (でも、京都に住んでるなら行くけどなあ・・・と思ったが、さすがに京都の街中になら、肩を並べるレストランもいくつかあるだろう。そんなに多いとは思わないけれど)

 もう一つ、フィクショナルな話。

 パリに恋人がいるのだが、もちろん滅多に会うことができない。
 2人を隔てているのは、1万キロ近い距離でも、10時間以上かかるフライトでもない。
 どちらかに3連休さえあれば、1日近くは一緒に過ごすことができる。
 それができない理由は、安くても10万円以上かかるような交通費である。

 結局のところ、お互い、恋人と1日会うのに10数万円の価値はないと考えているから会えないのだ。

 それは、距離の問題でも時間の問題でもなく、紛れもなくお金の問題である。

 もちろん、いちばん肝腎な「こころ」の問題・・・なのかもしれない。