●哀しき予想的中

 大阪府知事大阪市長選は、予想どおりの結果に終わった。

 今回、両者に「風」を吹かせたのは、おそらく

衆院選自民党に300議席以上を与えたり
参院選で「山」を「動」かして社会党を大勝させたり
日本新党キャスティングボートを与えて首相を生み出したり
小泉純一郎に熱狂したり
青島幸男横山ノック石原慎太郎東国原英夫橋下徹を知事にしたり
衆院選民主党に300議席以上を与えたり

した層と同じなのだと思う(もちろん、あくまでも思うだけです)
 自民でも社会でも日本新でも民主でも色物でも、そのときどきの時流に合わせてなびくだけなのだ。
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 いわゆる「大阪都構想」の是非はよくわかならい。

 だが、それ以外のほとんどの面でも危うい無茶を押し通そうとする手法には強い危機感を覚える。特に、自ら選んだ教育委員が全員辞職してしまいそうな「教育基本条例」など、その典型であろう。

 文化と教育の破壊者として後世に名を残したいのかとすら思う。

 ある程度偉くなると、すぐに組織や制度をいじりたがる人がいる。
 だが、そういうことをして成功するのは、数少ない visionary だけである。調子乗りや凡人がやると、現場を混乱させて疲弊させるだけに終わってしまう。哀しいかな、偉い人の多くは調子乗りや凡人であり、現在大阪を動かしているのは、頭が古くて固い、調子乗りの凡人である。

 大阪都構想にしても、「変えなければ」ばかりが重視され、結局はより悪く変わってしまうという可能性も高いのではないだろうか。
 変えるためのコストだって莫大だ。

 まあ、予言者ではないので、将来のことは言うまい。

 だが、この十数年来、自分の職場やその上部団体(や日本中のお役所的組織)でずっと言われ続けてきた「変えなければ」のほとんどがさまざまな弊害をもたらし、どんどん事態が悪くなっていることを思えば、また同じ轍を踏むのは見えているような気がする。
 しかも、変えるためのコストは実に莫大で、仕事の半分以上が変えるためと変えたための無駄な会議や事務作業に終始してしまっているといっても過言ではない。

 こんなことなら、もし無用な「改革」さえなければ、本来の仕事(あるいは休暇)を倍以上充実させ得たのではないだろうか。

 最近読んだ文章の中に、「仕事時間の半分以上がパソコンに向かってプレゼンの資料を作ることに費やされている。そんなことで働いているといえるのだろうか」という趣旨のものがあった。

 それに倣っていえば・・・

 役所的組織の仕事のおそらく半分以上は、「こんなことをやることにしたから予算をくれ(or 予算がほしいからこんなことをやることにした)」「いや、それには予算はやれない(or やるから企画し直せ)」
   または
「こんな予算をやるから企画を立てろ」「別にそんな予算はいらないんだけど、もらわないと上司がうるさいし・・・」で占められる。そんなことで働いているといえるだろうか。
 まして、その中味が多く改悪であってみれば。

 ひょっとしたら、「大阪都」になればそれなりにいいこともあるのかもしれない。

 だが、そのためのコスト(手間暇とお金)をもっと建設的なことに回せば、間違いなくもっといいことができるだろうと思う。
 結果として得られるものが改革による負担を大きく上回っていなければ、改革する意味はない。

 文化と教育だけでなく、経済まで破壊して名を残すことにならなければいいんだけど・・・