◆夢と難関

 先日、招待を受けてミュージカルを見てきた。

 ホールに出かけて舞台を見るのは2年半ぶり。前回は中島みゆきの「夜会」だった。
 これでもまだ、短いインターバルである。実に非文化的な家庭だ。

 ミュージックスクールやダンススクールで学ぶ学生たちが中心のダンスミュージカルだったのだが、場所は一流施設の大ホール、舞台装置なんかも手間暇のかかった大がかりなもので、(おそらくは)プロの興行と比べてもそれほどの遜色はない。

 だが、100人を超えようかという出演者のほとんどは残念な容姿の人たちだった。
 顔はまあ仕方ないとしても、太い体にだぶついたお腹をさらして踊っている人がいるのを見ていると、一応はプロを目指している身としてどうなのかなあと思わざるを得ない。
 小中学生のお稽古事としての歌やダンスではなく、高校や短大、大学などを卒業した人たちが入学してくる、フルタイムのスクールなのだ。

 歌やダンスに関してはこちらにまったく鑑賞眼がないので何とも言えないが、おそらくはそんなに高いレベルのものではあるまいと察せられた。

 そんな中、集団ダンスの時に、容姿の点からも動きの面からもちょっとだけ目を引く女性が2人いるなあと思っていたら、やはりというか、その2人が後のミュージカルの主役なのであった。

 あれ? もしかして、オレって鑑賞眼があるのかも ^^;
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 読み返してみて、何だか意地の悪い文章だなあと思ったが、もちろん、意地悪を言うのが目的ではない。

 そうではなくて、この世界の厳しさというか難しさについて舞台を見ながら考えさせられていたのだ。

 おそらくは、100人全員が、私とは比べものにならないぐらい上手に歌い、踊る。
 別に私なんかと比べなくても、普通の人たちよりははるかにうまいに違いない。歌や踊りが好きだという情熱だって、人に負けてはいない。
 だからこそ、先の見えない中、学校に通って歌やダンスに打ち込んでいるのだ。

 ミュージカルの中には楽屋落ちみたいな挿話もあって、

 「俺、もうダンスは諦めるよ」
 「どうして? それに、ダンスを辞めてどうするの?」
 「何かアルバイトでも始めるしかないよ」
 「何を言ってるのよ。あなたには才能があるのに」

のような場面が繰り広げられていた。

 そう、私が見たところ、あの100人のうち、歌や踊りで何とか食べていけるのはせいぜい2〜3人。残りはすべて、夢を諦めることになるだろう。まあ、趣味として続けていくぶんにはいいだろうけれど。

 そして「何とか食べていけ」ても、それは文字通りそうなのであって、華々しく活躍できるようになる人はおそらくゼロである。
 あそこでトップでも、バックダンサーになれるかどうかもわからない。

 そもそも、大阪に住んでいる時点でどうなのかなとすら思ってしまう。
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 みんな、宝塚音楽学校には落ちたのだろうか。それとも、受験を考えることすらできないレベルだったのか。まあもちろん、「あそこは合わない」と思ったかもしれない。

 ともかく、その宝塚を出てさえ、スターになれるのはほんの一握りだ。この道の難しさを思うとき、目指している人が多いのにはちょっとした目眩を覚える。

 東京藝術大学が神童の墓場だというのはよく言われる。周囲から天才だ神童だと本気で賞賛され続けてきた者でも、そこではほとんどが平凡な学生に過ぎない。そして、本当に残念なことながら、私の目の前にいた100人は、その「平凡な学生」ですらないのである。

 スポーツや芸術やダンスで身を立てることは、東京大学を出て身を立てることよりもはるかに難しい。
 「あなたも努力すればなれますよ」みたいな顔をしてテレビに出てくる人たちは、神童の中の神童なのだ。途方もない努力も重ねている。

 楽屋落ちの挿話を演じる仲間を横目に見ていても、この人たちはそのことを「ほんとうに」わかっているのだろうかと思ってしまう。

 それに、もし、素朴な少年少女たちに叶わぬ夢を抱かせることで授業料を集めることがスクールの目的になっているとしたら・・・

 いや、それでも、「青春の一時期、私はダンスに打ち込んだ」という確かな体験と思い出が残れば、それはそれで素晴らしいことかもしれない。

 そんな体験を持ち得なかった男の戯れ言に耳を貸す必要はない。

 (それでもまあ、息子がダンサーを目指すとか言い出さなくてよかったとは思うけれど)