■大阪府をストーカーにする条例

 橋下徹大阪府知事の肝いりで、公立学校の「入学式や卒業式などで君が代を斉唱する際、教員に起立を義務づける条例」(asahi.com)が制定されそうな雲行きである。成立すれば、全国で初になるそうだ。

 例によって理性なく吠えまくり、君が代を斉唱しないのは府民に対する挑戦だとか、起立しないことが複数回にわたると懲戒免職にするとか、勇ましい?ことを言っている。
 私も府民なのだが、君が代を歌わない教員は私に挑戦しているということになるのだろうか・・・ 受けて立ちましょうか(笑)
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 日章旗君が代を国旗国歌とすること、それを入学式や卒業式等で掲揚し斉唱することの是非はこの際問わない。

 そして、1999年の国旗国歌法審議時に、小渕首相が国会で「命令や強制は考えていない」(同)と答弁したこと、あるいはまた、2004年の秋の園遊会で、天皇が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」(同)と述べたことは、この際、想起するだけに留めておく。

 いや、逆に?一歩踏み込んで、日本が近代国民国家としてその求心力を保ち、「国際社会において、名誉ある地位を占め」(日本国憲法前文)る上で、象徴天皇や国旗国歌を核にすることは役に立つと仮定しよう。

 それでもなお、こういう条例はダメだと思うのである。

 なぜか。

 「オレを愛していると、はっきり行動にして示せ」「そうしないとひどい目に遭うぞ」と脅迫することは、実際に愛されて素晴らしい家族を築いていく上で何の役にも立たないからだ。役に立たないどころか、むしろ大きな障害になる。

 そう、これはまさに、「ストーカーの論理」である。ストーカーは自分の思い通りにならない異性を脅迫して、愛してもらおうとする。そして、それが叶わないと刺したりもする。
 大阪府の条例では、思い通りにならない教職員を脅迫し、言うことをきかなければ懲戒免職にしたりするわけだ。

 それでみんな?から愛される府なり国なりになるのなら、まだ救いがある。
 しかし、君が代斉唱に反対するほとんどの教職員は、懲戒免職になると困るから、不平不満を内に溜めたまま(あるいは生徒に向かって吐き出しながら)嫌々職務を続けるだろう。ごく一部は信念を貫いて馘(クビ)になる。そして、両者の姿を目の当たりにした生徒たちは、それぞれさまざまな感情を抱くに違いない。

 ストーカー的父親に脅迫されて泣く泣く一緒に生活しながら愚痴をこぼしている母親や、経済的に困窮するのを覚悟で慰謝料も諦めて逃げ出した母親なんかを見て、子どもたちは父や母をどう思うだろうか。

 繰り返そう。

 仮に、日本が近代国民国家としてその求心力を保ち、「国際社会において名誉ある地位を占め」る上で、象徴天皇や国旗国歌を核にすることが役に立つと考えるとしても、露骨に処罰を持ち出して脅迫し、天皇への崇拝や国旗の掲揚・国歌の斉唱を強制することは、国家の一体感や公共への献身、あるいは「健全な」愛国心の涵養などに何の役にも立たない。むしろ、分断や反目、恐怖や忍従を生むばかりである。

 憲法前文がうたうように、日本が実際に高い倫理性を保ち、崇高な理想に向かって進もうとするのであれば、世界は日本に刮目し、国民はその国家に所属することに誇りを覚えるようになるだろう。
 大したことではないにせよ、「国旗国歌は強制しないほうが望ましい」と天皇が口にすれば、ああ、この人なら敬愛できると思うかもしれない。

 だが、橋下氏と維新の会がやっていることは、まったく逆である。

 彼らは、大阪府をストーカーにすることによって、分断や反目、恐怖や忍従を生む国家と国民を求めているのだろうか。

 橋下氏のいう「府民」の一人として、ストーカーの共犯にさせられるのはご免蒙りたい。