◆コーヒー回帰線

 幼いころ、コーヒーは飲ませてもらえなかった。

 「子どもにコーヒーを飲ませてはいけない」という意見にどれほどの妥当性があるのかは知らないが、私も息子には飲ませなかった。もっとも、飲ませようとしても、「苦い」といって今でも飲もうとしない。

 ただ、私が飲ませてもらえなかったコーヒーと、息子に飲ませていないコーヒーは別の飲み物だと思っていた。

 ちょうど、ほとんどのインスタントラーメンとラーメンとが相互に関係のない食べ物であるように、インスタントコーヒーとレギュラーコーヒーとは違う飲み物だと思っていたからである。

 私がたまにインスタントコーヒーを飲むのを許された中学入学のころだっただろうか、それまでインスタントしか飲んでいなかった両親が、コーヒーサイフォンを買ってきて、レギュラーコーヒーを淹れ始めた。
 アルコールランプに熱せられたお湯が下のフラスコ?からガラス管を通って上の漏斗?へ上がっていく様子が不思議で、何度も飽きずに眺めたものである。

 思えば、ちょうど日本が貧しさから脱したころのできごとであった。

 その後、インスタントコーヒーを飲むことはほとんどなくなった。レギュラーコーヒーしか飲まなくなったのと、たぶん30代半ばごろまではどちらかといえば紅茶党だったためもある。
 唯一インスタントを重宝していたのは、コーヒー牛乳を作る時だけであった。

 それがこの夏、何十年ぶりかでインスタントを飲むようになった。

 きっかけは、ちょうどコーヒーの粉が切れたころに、夜でも飲めるようにカフェインレスのインスタントコーヒーを買ったことに始まる。

 飲んでみると、私の貧弱な舌ではレギュラーコーヒーとはっきり区別できない。まして、カフェインが入っているかどうかなんてまったくわからない。

 「まさか」と思いながら、少しだけ残っていたブルックスと比べてみても、それほど違いはない。これならインスタントでいいじゃないかと思い始めた。
 今年の酷暑、アイスコーヒーを作るのはインスタントの方が格段に便利だということも背中を押した。

 もちろん、飲む直前に豆を焙煎して挽いたばかりのコーヒーなんかを淹れたりすると違うのかもしれない。
 だが、ローストした瞬間からどんどん劣化するらしいのに、粉のコーヒーを買っているような状況では、インスタントの方がむしろおいしく飲める可能性すらある。

 そう思っていると、「コーヒーの敵は「酸化」でした」と宣伝するネスカフェの「新・香味焙煎」なんかも発売された。我が意を得たりとそれも購入して飲んでいる。

 だが、レギュラーもカフェインレスも香味焙煎も、同じような味だ。やはり根本の問題は私の舌の貧弱さにあるのだろう。
 それでも、インスタントコーヒーがどんどん進化して、もはやコーヒーと同じ飲み物になってきたのではないかという気もちょっとする。

 先日、ある会合で、グアテマラ人が「インスタントコーヒーなんてコーヒーとは呼べない」という趣旨の発言をしていた。
 その時、「いや、こないだまで私もそう思っていましたが、今のインスタントコーヒーは、コーヒーなんですよ」と言いたくなったのだが、ちょっと自信がなかったし、会議の趣旨とまったく関係のない話なので遠慮した。

 今度会った時、ブラインドテストをやってみたいと思う。「グアテマラはコーヒーの国ですから」という誇り高き彼が、インスタントを見破れなければおもしろいのに。
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 蛇足:
 コーヒーは、「コーヒーベルト」と呼ばれる北回帰線と南回帰線の間の地域で主に栽培されている。インスタントへ回帰してきた自分を、それにひっかけて表題とした。