◆村上春樹氏にエルサレム賞だけど・・・

 村上春樹氏がエルサレム賞を受賞することになったという報に接して、何だか居心地の悪い、ぐにゅっとしたようなものを感じていた。
 まず脳裏に浮かんだのは「辞退はしなかったんだな」という感想であった。

 恥ずかしながら知らない賞だったのだが、何でも、イスラエルで最高の文学賞なのだそうである。

 まあ、国家・政府がやっていることと、その国の文学とは、もちろん一体ではない。
 それどころか、文学の方は、パレスチナ人の悲劇を描き、自国を告発することだってやっているに違いない(あ、そんなことをすると投獄されて拷問されたりするのかな?)。

 日本文藝家協会日本ペンクラブなんかももちろん、何ら日本や日本政府なんかを代表する立場にはなく、特に後者なんか、むしろ対立する組織かもしれない。

 とは思ってみても、イスラエルという国名はあまりにインパクトがありすぎて、素直に喜べない思いがつきまとう。
 授与するのがエルサレム市長だと聞くと、文学(賞)の政治からの独立性にも不安が漂う(後記:文学に限らず、あらゆる行為はすべて政治的なのだという当然の公理はここでは措く)。
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 などと、脳みその隅っこの方でうだうだ気になっているときに、畏友のブログを通して、過去にスーザン・ソンタグが受賞しており、「受賞講演でイスラエルパレスチナ政策を批判した」(asahi.com)というのを知った。
 さすがである。受賞した者でなければ決してできない行為だ。

 スーザン・ソンタグは、例の911テロの時に、"Let's by all means grieve together. But let's not be stupid together." と冷静に述べて、「復讐」に凝り固まった人々からごうごうたる非難を浴びた人物である。
 彼女が生涯持ち続けていた、アメリカの遂行する無法な戦争への嫌悪や覇権主義への非難は、当然、イスラエルの行いにも向けられる性質のものだ。

 エルサレム賞を与えた組織が、まさかスーザン・ソンタグがどういう人物か知らなかったはずはあるまい。それはもちろん、村上春樹に関しても言える(言えるんだろうな)。

 であれば、やはりこの賞は、国家としてのイスラエルイスラエル政府の意向を体したものではあるまい。
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 いずれにせよ、「関係者によれば「現地の政情の問題もあり、最終的には参加できるかどうか未定」」(同)だそうである。
 村上氏のこと、もらうと決めた以上は行くと思うが、もちろん、私がどう思おうと関係ない。

 受賞すると決めたこと自体も、あれやこれやのもろもろを咀嚼した上での判断であろう。

 非難したり再考を求めたりするのはたやすいが、どう行動するかは当然、氏自身の文学とその実践にかかっている。
 少なくとも現在は、氏がどう決断されようと私はそれを支持するだろうと思う。そして再びもちろん、私が支持しようがしまいが関係ない。