●まだ終わっていない

 ふたたび、駆け足で「はづかしき」人々のところを3箇所ほど回ってきた。

 そのうちの一つが、瀬戸内の島にある国立療養所。

 ハンセン病の元患者数百人(「現役」の患者は1人もいない)が今も暮らす、旧「強制隔離」施設である。

 居住棟のすぐ横に外来者用の宿泊施設があり、そこに1泊した。食事も入所者と同じものをいただいた。

 午後いっぱい、入所者のAさんに島内を歩いて案内していただき(ちょっとしたハイキングだった)、夕食を挟んで、夜遅くまでお話を伺った。焼酎やら酒の肴やらをご馳走になったのだが、まったく酒が飲めないことが恨めしく思えたのは珍しい経験だ。

 ここに何かを記すほど、何事もまだ消化されていない。それに、書くべきことがあまりに多すぎて何から手をつけていいかわからない。
 すごく疲れてるし(笑)

 ただ一つ、今書けるのは、「まだ終わっていない」ということだ。

 「らい予防法」廃止に伴う強制隔離政策の終焉(1996年)、および、「『らい予防法』違憲 国家賠償請求訴訟」熊本地裁判決に対する国側の控訴断念と「ハンセン病補償法」の成立(ともに2001年)によって、世間一般はこの問題を「もう終わったもの」ととらえ、ほとんど関心を持たなくなってしまっている。

 中学生の時に療養所に入所以来、60年間この島で暮らしているというAさんは、「薬害肝炎訴訟に決着がついた形になって、もうみんな終わったものと考えて、忘れ始めてるでしょ」と言って、C型肝炎の患者たちのことを思いやるのだった。

 悲惨、としかいいようのないような経験をいくつも積んで、今なお、陰湿な差別を受けることがある身である。
 だが、自身が受けた「人体実験」や形成手術の失敗などまでジョークにしながら、視線は常に、さまざまな差別を受ける人たち全般や、政策の誤りによる被害者たちに広く向けられている。

 神や仏や、国や人やを恨む言葉はなかった。怒りの感情すらお見せにならなかった。むしろただ淡々と、しかし生き生きと、時にはおもしろおかしく、経験した事実を語ってくださった。
 ___

 「ハンセン病問題基本法」を国会に上程すべく、100万人署名運動が現在進行中だ。しかし、申し訳ないことに、私自身、そんなことはぜんぜん知らなかった。

 自分のことを棚に上げて言えば、ハンセン病問題にはもはやニュース価値がないと判断した報道機関がこの運動をほとんど伝えていないことに大きな原因がある。それは、世間が「終わったこと」と考えている(あるいは考えることすらしていない)ことと、鶏と卵の関係にある。

 世界中の憂いであふれかえっている報道と、多事多端な毎日・・・

 だが、無関心こそが最大の問題点の一つである。

 ハンセン病をめぐるあれこれや、それに象徴されるこれかれも、もちろん、まだ終わってはいない。