★研究者

 ソウシチョウを初めて発見し、野ウサギやミヤマクワガタと出会った六甲山のお気に入りの場所。

 先日ミヤマクワガタを見つけたとき、他に誰も通らないような道の隅にしゃがみ込んで、なにやら熱心に観察している人がいた。
 行きも帰りも家族3人ですぐ後ろを通ったのだが、絶対にわれわれの存在に気づいていないと思われるほど、脇目もふらず何やらゴソゴソやっていた。普通ならありえないが、もしかするとほんとに気づいていないのでは、と思えるほどだった。

 ・・・8月5日夜、日帰りで実家へ行った帰りに息子と2人でまた同じ場所にミヤマクワガタを探しに行った。昼間でもだれもいない道の隅に、橙色のライトが見える。こんな時間にこんなところにいる人が他にいるとは思えない。相変わらず、こちらには見向きもせず、何やら熱心にゴソゴソやっている。また、すぐ後ろを通る。

 あの時と同じ人に違いないとは思うのだが、何やら肝試しにでも来たような気分になった。他に誰もいない夜の山中ということもあって、ちょっとこの世のものとは思えない雰囲気なのだ。

 けっこう歩いてお目当ての木に到着しても、クワガタは見事に空振りで、ウマオイ系の茶色い虫やら気味の悪い蛾やらしかおらず、そこらの木々を照らしながら戻る途中にもめぼしいものは何もいない。

 帰り道、例の人と微妙に目が合った。4度目にしてわれわれの存在に初めて気づいたといった風情だった。もちろん、向こうは先日通ったのがわれわれだったのは知らないだろうが。
 こちらから挨拶する。「こんばんは。何を調べてらっしゃるんですか?」

 水を得た魚、というのはこういう状態をいうのだろう。他には人っ子一人いない真っ暗な山中で、嬉々として、また、滔々と、ここでの研究活動について話し始めた。話はもちろん興味深いのだが、専門的でかつ細かい。
 懐中電灯で照らしながら、太陽の下でも見えるかどうかというような大きさの、花粉やら虫の足やらを見せて解説してくれる。

 だが、内容よりも何よりも、とにかくこうして何かを調べることが楽しくて仕方がないという雰囲気だけはびんびんと伝わってきた。もう一つ、世界中でまだ誰もはっきりとは知らないことを、自分が発見しつつあることの喜びも。

 一方で、正直、相手が私たちで良かったと思った。真っ暗な山中にしゃがみ込んでえんえん続く講義を受けることができる人は、そう多くはないと思うからだ。

 ともあれ、昼からずっと作業を続けてきて、今終わったところなのだという。10時半だ。地面に置いてさっきまで何やら書きつけていた小さなノートには、観察記録がびっしり。明日も同じようにここに来るのか聞くのはこわかった。

 研究者、のすごさを思った。同時に幸せも。

 だが、「老眼が始まって、こういう細かい観察をするのはつらいんですよ」と楽しそうに話す彼は、大学の職の任期が切れて、現在は無職だという。

 既に幸多き彼に、世俗的な幸も多かれと祈る。祈ることしかできないけれど。