■中途半端な良心の澱

 ・・・という題をつけたけど、これ、コンプリケイティッド・ライフ II だな...

 以前にも書いたが、私の住んでいるところは、ほとんどどんなゴミでも一緒くたにして燃やしてしまう。自転車でも電子オルガンでもアイロンでも応接セットでも・・・

 幸い、これまでそんな恐ろしいものをゴミとして出したことはない。でも、永久に出さないかというと、多分そうはいかないわけで、今から良心が痛んで仕方がない。

 家から出るゴミで、どうしても捨てられないものに、使い切った電池があった。ボタン電池や充電式の電池なら、回収ボックスがあったりするが、それでもよほどの気力と行動力がなければ、いちいち回収ボックスを探し回れない。これまで何度か、思い切って店員に尋ねたりしたことがあった。

 もっと困るのは乾電池である。そもそも、ほとんどの回収ボックスには「乾電池を入れるな」と大書してある。ではどうすればいいのかは書いていない。やはり、生ゴミと一緒に出すのが正解なのだろうか。そんな恐ろしいことはとてもできない。

 そんなこともあって、電池はなるべく買わないようにしている。必要最小限にとどめ、かつ、充電式を多用する。そんな生活をしていてすら・・・

 使い終わった電池が、スーパーの小さなポリ袋を満たすぐらいあったのだ。ゴミ箱に捨てられず、回収にも出せず(確か1〜2度は出した)10年近く溜まってくると、やっぱりそれぐらいになってしまう。

 今まで、気にはなりながらも捨てられずに溜まる一方だった。

 それが・・・

 職場にあるよくいく店に、電池の回収ボックスがあることを知った。滅多に電池を買わないから(職場で買ったことはないかも)今まで気づかなかったのだ。
 しかも頭のいいことに、電池売り場に新品の電池と並べて置いてある。新しい電池を買いに行くと、嫌でも回収ボックスが目にはいるという仕組みだ。多くの電器屋のように、回収ボックスを探し歩いたり店員に聞いたりする必要がない。

 陳列商品を少しでも増やしたい「売る側の論理」からは、こういう発想は出てこないだろう。陳列棚の一部を使ってでも電池を回収しようという行為に、ちょっとした敬意を覚えた。

 お蔭様で、我が家に溜まった中途半端な良心の澱(=使用済み電池)も一掃できた。お決まりの「乾電池を入れるな」との表示もない。

 だが心配が一つ。ボタン電池も乾電池も充電池も同じ箱でいいのだろうか。実際に混じって入ってたのだが。回収してから人力で仕分けしたりするんだろうか。
 念のため、私自身はポリ袋に小分けして入れたのだが、かえって手間をかけてなければいいんだけど。

 ともかく

 今後は電池を出す場所が決まって良かった。それにしても、ごく細かいことに中途半端に良心的であろうとすることすら、多大な手間とストレスを呼び込んでしまうのがつらい。コンプリケイティッド・ライフたる所以である。