■コンプリケイティッド・ライフ

 先日、発電機が故障したためにまったく無線通信ができなくなった小型機が広島西空港緊急着陸するというできごとがあった。国土交通省は「重大インシデント」として調査を始めている。

 問題の機は、2台ある発電機の双方がダメになった上、非常用バッテリーも切れたため、飛行計器類も無線も使えなくなっていたという。

 無線アウトになったとき、管制塔との交信なしで着陸する訓練は必ずやるものの、実際にそんな状況になったときのことを想像すると、それだけでパニックになりそうである。

 だから、多くの小型機乗りは携帯用航空無線機を持っている。電波法上、聞くことはできても送信はできないのだが、いざ緊急事態になったときは、心強い味方になる。今回の人たちは持っていなかったらしい。

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 さて、久しぶりに小型機で飛ぶことになったので、自分は操縦しないのだが、念のために無線機を引っ張り出した。が、いざ管制塔の交信を聞こうとすると、電源が入らなかった。しまった、とは思ったが、緊急事態でもなければ、別に困ることはない。家に帰ったら充電しようぐらいに思っていた。

 ところが、充電してもまったくうんともすんとも言わない。故障である。アメリカで購入してるし、保証も多分切れている。メーカ自体は日本なのだが、果たして修理してくれるんだろうか。してくれるとしても、高くつきそうだなあ・・・ はあ。

 つい先日は、自転車につけるサイクロコンピュータ(速度・距離計)が故障していた。前からおかしかったのだが、完全に反応しなくなっていた。
 幸い、メーカに送るとすぐに代替品を送り返してくれたのだが、状況を総合的に判断すると、どうも新品の時から不良品だったようである。どうりで最初からうまく動かなかったわけだ。

 自転車といえば、息子の自転車のハンドル取り付け部を替えてサイズを大きくしたところ、後でブレーキやら変速機やらのワイヤの長さが足りないことがわかり、それを全部取り替える必要が生じてすごく高くついた。

 その前は、買ったばかりのテレビのファームウェアにバグがあり、スイッチが切れなくなる!故障がそのうち出るとかいうことで、わざわざ家まで出張修理に来てもらった。

 その他、不具合があるとか故障したとかで手間とお金のかかったことは枚挙に暇がない。家なんか買うと、何かちょっとでもあったら何十万円という世界になり、血の気が引く。いままで2〜3回あった。
 幸い、これまでは保証が効いたり意外と安く上がったりして何とかなったが。

 今宵は、巨大な鳥の糞が何カ所にもベチャッとついた車を、疲れた身体に鞭打って洗うしかなかった。

 パソコンのソフトウェアアップデートなんかは、多すぎて語る気にもなれない。

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 このエントリで結局何が言いたいかというと・・・

 身の回りにモノが増えると、それだけ心配や手間暇が増え、お金がかかるということである。シンプル・ライフに憧れながら、長く生きれば生きるほど、暮らしはややこしくなっていく。平均的な日本人と比べれば、ほぼ確実に買うモノが少ない私ですらそうだ。

 ヒトが増えても同じだ。自分のことだけでも精一杯なのに、妻のことや息子のことで心労が重なるのはほんとうにこたえる(大したことじゃないんだけど)。

 性格的には素直でいい子である息子一人でも大変なのに、これが2人いたり、問題のある子どもだったりしたらどういうことになるのかと、想像するだけで恐ろしい。
 親兄弟や親戚のことで心労を重ねている人もいるだろう。

 家族親戚に限らず、友人その他、人間が増えるとやっぱり心配や手間暇や必要なお金が増える。しかしまた、もちろん、豊かな人間関係は捨てがたい。それがなかったら何のために生きているのかわからなくなる(自分自身に豊かな人間関係があるとはとても思えないけれど)。

 でも、あっさりした人間関係の中、独身で所持品少なく暮らしている人なんかがいるとすると、そういうのにも憧れてしまう。そんな中で楽しみさえ確保できるならば、心配事は格段に少なくなると思うからだ。

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 それにしても、ヒトはともかく、モノに関しては故障することが格段に増えたという実感がある。思えば、身の回りのさまざまな製品は、私が若かったころの品質が一番高かったのではないか。20年前に買ったモノでも故障せずにいつまでも現役のものは多いのに、ここ数年に買ったモノはことごとく故障するのだ。
 まあもちろん、昔よりも格段に精密・複雑化している影響もあるのだろう。

 ああ、ここでもやっぱり、コンプリケイティッド・シングズ。

 シンプル・ライフは遠い。