◆「ゴミ屋敷」への道

 今さらそんなことに驚くなんてあまりにもナイーブだという謗りは承知の上だが、大型ゴミを回収する現場をおそらく初めて間近に目撃して衝撃を受けたことを記しておきたい。

 回収に当たっているのは、家庭ゴミなどを集めているのと同じ(に見える)ごく普通のいわゆるパッカー車である。軽を除くトラックの中ではおそらく最少の部類にはいるような大きさだ。調べると、2トン車らしい。

 作業員がやや大ぶりの頑丈そうな事務イスを手にする。一体あれをどうするのかと思っていると、何のためらいもなくそのまま後部に放り込んだのには驚いた。
 と、家庭ゴミ回収(これは見慣れている)のときと同じように上からブレードが降りてきて、イスを押しつぶしながら奥へと押し込めていく。

 次は長さ3メートル以上はある巻いた葦簀(よしず)。これは縦に入れられて、奥へ送り込まれていった。

 その次は、大人用の26インチとおぼしい自転車。横向けにそのまま放り込まれる。
 あまりのことに写真を撮ろうとしてデジカメを取り出すと「メモリースティックがありません」・・・ 昨日ハードディスクに転送したときに抜いたまま忘れていたのだ。

 さらに、電子オルガン!も本箱もそのまま放り込まれる。それから、幼児用の自転車。当たり前のことだが、作業員は何の感慨もなさそうに(実はあったりするのだが)淡々と作業をこなしていく。
 放り込まれた品々は、メリメリバキバキと音をたてながら、ものすごい形に歪んで奥へ吸い込まれていく。パッカー車は感慨を覚えたりしない。

 まだまだ幼い息子がこの光景を見たら、おそらくその場で号泣するのではないかと思われた。こちらは大人だからさすがに泣いたりはしない。だが、眼前の光景にはかなりの衝撃を受けると同時に、「ものを捨てる」ということの意味を改めて考えさせられた。

 どこの自治体でもこのように回収しているのだろうか。

 大きなトラックがやってきて、一つずつそのまま荷台に載せられるというような、牧歌的な粗大ゴミ回収を無意識のうちに思い描いていたわたしの貧困な想像力は無惨にうち砕かれ、電子オルガンや自転車と一緒にパッカー車の奥へと回収されていくしかなかった。

 もちろん、どんな風に回収されても、結局は埋め立てに使われるか焼却されるかだ。
 私の住む自治体は高温溶融炉とかいうゴミ焼却炉を持っていて、なんでもかんでも焼いてしまう。当初は信じられなかったが、鉄などの金属でもそのまま放り込んで焼いてしまうのだ(燃えかす?は再資源化されるらしいが)。
 だとすればもちろん「効率的に」ゴミを回収することは当然である。しかし・・・

 ・・・

 環境問題やゴミ問題に関心のない方ではなかった。それに、埋め立て風景や焼却炉については映像などで見たことがあるし、ゴミ回収現場からの作業員によるルポ(オススメです。文庫も出てます)も読んだ。
 だが、自分で直接目の当たりにした光景は、それら以上に衝撃的だったかもしれない。一次情報に直接接することの重さを思う。
(あ、でも、「ゴミにまみれて」を読んだときには涙が出たなあ。今回は出なかった・・・)

 モノを捨てたら、それがどうなるかを自分の目でぜひ確かめるといい。あの光景を息子に見せられなかったことが残念だ。通り一遍の社会見学でもいいから、子どもたちに回収現場や工場を見せてあげたい。
 
 ・・・

 モノに魂が宿るというアニミズム的世界観から未だに脱することができず、子供のときと同じように、モノに「かわいそう」という感情を抱いてしまう。だから、捨てられずにいるゴミ予備軍が家にたくさんある。
 なのにあんな光景を目撃してしまうと、ますます捨てられなくなる。我が家も「ゴミ屋敷」として報道される日はそう遠くはないかもしれない。

 日本全国各地に「ゴミ屋敷」がある理由が皆目見当もつかなかったが、もしかするときっかけはこんなことだったのかもしれないと思えてくる。