★不毛な競争と愚かな精神主義

 原因が何も分からないうちから運転士個人を断罪するような報道を繰り返していたマスコミが、掌を返したように 会社としてのJR西日本バッシングをやっている。番組によって違うとはいえ(たとえば27日28日の『ニュース23』には見識を感じた。もしかすると、JRの悪口が言いにくい理由が何かあるのかもしれないが)、それ一色とすら見えるほどだ。
 次は何を槍玉に挙げるつもりだろう。

 とにかく、「無垢な」犠牲者に単一の「悪玉」を対応させて、勧善懲悪をやらなければ気が済まないような単細胞のマスコミを持つことは幸福なことではない。マスコミは水戸黄門であってはいけないのだ。
 そのことについて何か書こうかと思っていた。

 が・・・

 JRバッシングの理由の一つとなっている「日勤教育」に代表される「しごき・いじめ」の話を聞くと、なるほどそういうことはあるのだろうなと納得させられてしまった。

 以前の勤務先で、体調を崩した者を「たるんでいるから」だと切って捨てる先輩?がいた。もちろん、可能性としてはそういうことがないとは言わない。
 だが、その可能性は低いし、そういう診断とそこから導かれる処方箋は、ほとんどの場合、病気を治せず、次の病気の予防にもならない。
 それどころか、無用に相手を傷つけるばかりだ。

 列車の運転士の技術に問題があってオーバーランするのなら、技術の向上に結びつく生産的な研修をすればいい。車掌室で立ったまま居眠りをするようなら、無理な勤務態勢を改めるべきだ。
 「たるんでいるからだ」と集団でいびり、「反省文」を書かせて「教育」と称しているのでは(ほんとにそうなんですよね、報道各社様)、技術の向上は望むべくもない。第一、自尊心なしの技術向上は想像できない。
 一流の技術を持った職人肌のベテラン運転士に冤罪をかぶせ、「教育」と称して自尊心をずたずたにし、自殺にまで追い込んだという(これも、ほんとなんですよね・・・)例が雄弁に物語っている。

 不毛な競争から過酷な勤務を強い、ミスをした者は愚かな精神主義によるしごきで追いつめ処罰をちらつかせて脅す。そしてそれはもちろん事態の改善には結びつかず、むしろ破局へと突き進む下地となってしまう。

 ・・・何だか、先の大戦時を髣髴とさせるような話だ。この国の土壌にそういう伝統があるのかもしれないと思うと、暗澹たる気持ちになる。
 鬼の首を取ったようにこれを糾弾しているマスコミの現場そのものが、愚かな精神主義に基づいたしごきの現場だということはないのだろうか。

 愚かな精神主義の方はともかく、不毛過当な競争自体は近代以降の?われわれの?文化の集積が生み出している気がして残念だ。
 少なくとも個人的には、なんとかそこから抜け出したいと思う。たとえ、いくばくかの後ろめたさを抱えつつであっても。