■ことばは生き物

 大学受験生から「「ことばは生き物だ」ってどういう意味ですか」と聞かれた。

 なぜそれが一番聞きたかったのかがよくわからなかったし、どういう文脈で出てきた表現なのかもわからなかったのだが、即興で適当に答えておいた(すみません)。

 もうちょっとわかりやすく、一般的な答を書いておきますので、よかったら参考にしてください。
 (念のため、今後新しい質問をいただいても答えられませんので、あしからずご了承ください)

  うまくできるかなあ?
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 「ことばは生き物だ」と言われるのは、ことばというものが生き物と同じように、生まれ、成長し、変化し、老い、死んでいくからです。

 成長の早いものや遅いもの、立派に成長するものやそうでないもの、急速に老いるものや寿命の長いものなど、いろいろなことばがあるのも、生き物と同じです。そしておそらく、生き物と同じように、すべてのことばはいつか死んでいきます。

 いわゆる流行語というのは、次々に生まれて爆発的に成長しますが、あっという間に老いて死んでいくことばです。ただ、まれに長生きすることもあるのが面白いところです。

 ことばはまた、生き物と同じように、姿を変えていきます。あおむしがサナギになり、やがて蝶になるように(という例はちょっと適切ではないかもしれませんが)、意味や音や使われ方が変わります。たとえば古語の「おどろく」「ののしる」「うつくし」「おまへ」と現代語の「驚く」「罵る」「美しい」「お前」とを比べてみてください。
 それだけではなく、同じことばが使われ方によってさまざまな意味を持ちます。たとえば、関西弁の「あほ」というのは、文脈によって、罵倒から「好き」まで、あらゆるニュアンスで使われます。おそらく共通語の「ばか」も似ているのではないでしょうか。

 生き物とは思えないほど寿命の長いことばもあります。よく使われる基本的なことばの中には、よく使われるからこそ変化が大きいものもありますが、安定してあまり変わらないものもあります。前者は例えば、やさしい動詞ほど語形変化が激しい英語を思い浮かべてください。後者は例えば、「顔」「手」「足」「行く」「来る」などを考えるといいでしょう。それでも「来る」は形がかなり変わってきていますね。

 さて、ことばは生き物と同じように、次々と生まれ、また死んでいきます。生き物と違うのは、生まれたことばは常に「正しく」なく、間違いだと思われたり奇妙だと思われたり下品だと思われたりすることです。
 しかし、そのうちのいくつかのことばが成長し、多くの人に気に入られてふつうに使われるようになります。そうなると、いつの間にか「標準的な」「正しい」ことばとして認められます。
 世界中のあらゆることばはすべて、このサイクルを常に繰り返しています。私たちが今「標準的な」「正しい」ことばだと思っているもののほとんどは、かつては間違いだと思われたり奇妙だと思われたり下品だと思われたりしていたものです。
 言い換えれば、「正しさは常に間違いによって駆逐されていき」「その間違いが新たに正しさを獲得する」ということです。私たちが使っている「正しい」ことばは、歴史的な「間違い」の集積です。

 最後に、もちろん「ことば」は語句に限りません。上にも少し書きましたが、発音や表記や文法から実際の使用法に至るまで、何もかもが生き物のように生々流転します。
 私の嫌いな「間違った」ことば、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」「千円からお預かりします」「ご使用できません」「半端ない」「真逆」などは、もはや市民権を得つつありますが、これらが「正しい」ことばとして認められるのはいつごろのことになるでしょうか。