★縁なき人々、縁ある人々

 結局、ヴィスケー・タトリ(スロバキアのアルプス)に3泊している間に、アジア系やアラブ系やアフリカ系と思しき人にはただの一人も会わなかった。
 マイナーとはいえ、スロバキア屈指の観光地、かなりの数の人がいて、山頂へのロープウェイの切符を買おうと朝ブースに並ぶと、手に入るのは次の日の夕方の分になってしまうというほどの人気なのに。

 まあ、それはどうでもよい。

 こちらに来てから、ウィーンやブダペストなどの大都会やプリトヴィツェ湖群(クロアチア)のようなメジャーな観光地では夥しい数の人々に、そうではない比較的マイナーな観光地でもそれなりの数の人々に毎日毎日出会うのだが、そのほとんど(というか、たぶん全員)とはもう一生会うことはない。

 この広い地球上で、ひとときとはいえ同じ時間に同じ場所にいあわせるという偶然を共有した人々との縁はしかし、あくまでもその一瞬のことで、「♪顔をあわせ、すべもなくすれ違う」だけのことなのだ。

 あるいはスロベニアの例のおじさんたちとは、それよりはほんの少し意味のある縁が結べた可能性もある。
 あと一人、ケストヘイ(ハンガリー)で夕食を食べた店のウェイトレスが、食事のあと「日本から来たんですか」と話しかけてきて、自分の名前を日本語で書いてほしいと頼んできた。
 日本に憧れをもってくれているようで、レストランの名前も彼女の名前もわかったわけだから、日本に帰ったら何か送ってあげようかと思っている。

 ブダペストのホテルのベルボーイや今泊まっているペンションのウェイトレスともちょっとしたふれあいめいたものはあったが、まあそれぐらいだ。

 以前、スイスアルプスのグリンデルワルトで泊まったホテルがちょっと気に入り、オーナーご夫婦とも個人的に少し話をしたものだから、その次の年に両親を連れて出かけたときも同じホテルに泊まったのだが、なんとたった一年のうちに事情があってオーナーが変わっており、再会を果たせなかったことがある。

 勝手に縁ができたような気がしていても、すべもなく無縁に戻っていくばかりだ。

 そんなふうに連絡の取りようもなくなった人がどれぐらいいるだろう?
 今は一人、2年ほど前から返信が来なくなった大学の同級生のことをときどき考えている。今年も残暑見舞いを出したが、どうなるだろうか。

 短くはない人生ながら、意味のあるほどの縁ができる人はほんとうにごく限られている。私のように、自分からはふつう縁を求めたりしない非社交的な者の場合はなおさらだ。

 おそらくは間違いなく残り半分を切った人生・・・ 限りある貴重な縁を大切にしたいと思う。