■「少女時代」のその後

 ソウルを歩いているとき、仕事仲間(女)が「若い娘(こ)は日本人より韓国人の方が総じて美人でスタイルもよい気がする」「脚がきれいなのは小さいときから椅子の生活をしているからかとも考えたが、それは日本も同じだし」などと話していた。

 去年もここに書いたと思うのだが、確かにそういう傾向がありそうに思える。韓国の年配の女性と若い女性との間には、顔にもスタイルにもファッションにも、時代の差がくっきりと刻印されているのだ。

 そんなことを思いながら街行く女性たちを眺めていると、当時はもちろんそんな存在を思いつきもしなかったが、今思えば「少女時代」のような昔の知り合いを思い出した。
 やや苦労したがメールで連絡が取れ、彼女の近況を教えてもらった。たった4年半のうちに「少女」は結婚し、母親にまでなっているという。一方で仕事もし、研鑽も続けている。

 ・・・こちらはその年月分、年を取っただけだというのに。

 「ソウルにいらっしゃるならお会いしたい」「金曜日は一日空いている」と言ってはくれるのだが、連絡が取れたのが遅すぎてもう帰国の日であり、午前も午後も仕事でふさがっている。昨日の午後は余裕があったのだが。
 場合によっては午後の仕事をスキップしてもいいかなと思ったけれど、朝ホテルで返事をしてからは、もうメールできる環境もない。彼女だって忙しいだろうし。

 空港でお茶か食事ぐらいはできるかとも考えたが、縁がなかったのだと思ってすっぱり諦めることにした。彼女だって社交辞令で言ってくれているのかもしれない・・・
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 仕事先に向かう地下鉄のホームで仲間(女)にこの話をすると、連絡を取ってみろと熱心に勧められる。
 メールで番号を教えてもらっていたので携帯を借りて電話してみたが、呼び出し音が鳴る前に地下鉄が来てしまったので取りやめた。「韓国は地下鉄の中で電話してもいいのに」とか言われても、やはり縁がなかったのだと思った。

 目的の駅に着き、タクシーに乗るまでの間に再度電話してみる。長い間呼び出し音が鳴るがつながらない。留守電にも切り替わらないのでもう切ろうと思ったころ、彼女が出た。
 「ヨボセヨ」「ヨボセヨ」「○さんですか」
 そういいながらタクシーの後席に乗り込む。3人の真ん中だ。

 電話のせいでお互い変な声だったみたいだけれど、とにかく話ができてよかったと思っていると、隣の仕事仲間(女)が「「空港で会える」と言え」としきりにそそのかす。別に艶っぽい関係でも何でもないことは知っているはずなのに、何を考えているのか。
 勧められるまま遠慮がちに伝えると、今日はもうベビーシッターの都合がつかないので無理だという。子どもはまだ乳児なのだ。

 「うん、残念だけど、ともかくお元気で」

 かつて彼女(に限らず)が母国へ帰るときに思ったように、そして、これまで出会ったほとんどの人が実際そうであるように、たぶんもう一生会わないかもしれないな、と考えた。
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 仕事が終わって空港に着き、仲間に荷物を託してトイレに行って戻ってくると、例の仲間(女)が「待ち人が来てるで」と冷やかす。まったくもう。
 しかしほぼ同時に、見慣れぬ若い女性が目に入った。

 うわお。まさかこんなサプライズがあるとは。ほんとうにびっくりした。

 子どもを産んだはずなのに幾分やせているように見えたが、紛れもなく「少女時代」のその後である。
 彼女も、「少しお痩せになったんじゃないですか」というのだが、それは「年を取って貧相になった」の婉曲表現かもしれない。何しろ、体に故障が出たりする年齢なのだ

 ゆっくりお茶でも飲みながら積もる話でもと思ったが、子どもを預けてきていて時間がないという。

 お茶の時間すら?

 じゃあ何しにここまで来てくれたのかと訝ったが、お会いできただけでよかったと言う。そんな嬉しいことを言ってもらえるのは何十年に一度ぐらいかもしれない。

 ちょっと中途半端な形で音信が途絶えていたのだが、私がときおり彼女のことを思い出すように、彼女も私のことを思い出すことがあるのだとしたら、それで十分である。

 ルイヴィトンのバッグに加え、デパートの紙袋のようなものを2つ持っている。「買い物のついででもあったのかな」と思ったのは、たとえ思っただけにせよ大失敗だった。
 その2つは2つとも、私のためにわざわざ買ったお土産だったのである。まったく予想もしていなかった。
 (仲間(別の女)にあとで聞いたところによると、大量のお土産を渡すのが韓国の文化なのだという。)

 咄嗟に何かお返しできるものはないかと無意味に自分の体を探り、カバンの中味を思い浮かべるが、もちろん何も思い当たらない。日本に持ち帰る土産すら、いつものように何一つ買っていないのだ。

 そして、ものの3分もしゃべっただろうかというころ、彼女は帰っていった。

 「社交辞令」なんてとんでもない。いや、そうではないと思いつつも、そう仮定しなければならないのがこちらの文化なんだけれど。

 なんだか、二重三重に彼女に申し訳ない気がした。
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 夕方には手の届く距離にいたのに、夜にはもう、国境が互いを隔てている。

 何にせよ、ありがとう、ごめんなさい、おめでとう、お幸せに、そして

당신을 다시 만나세요
or
당신을 다시 보게
(これで合ってるのかどうかわからないけれど)

 けっして社交辞令ではなく。