★元気をいただくということ

 今の私がある最初のきっかけを与えてくださり、その後も育て見守ってくださっている恩人が病を得た。

 そのご快癒を祈るため、仲間ふたり(もう一人の恩人と畏友)を交えて4人、京都で会食した。
 4人が揃うのはちょうど2年ぶりである。2年前も京都であった。

 最初こそ互いの体の不調を肴にしていたものの、あっというまに馬鹿話やら仕事の話やら電子機器の話やらになり、話題は広がりまた収束し、実に楽しい時間となった。

 「恩人」は大手術を数日後に控えており、「もう一人の恩人」の方も春に「葛野の大患」を経ていらっしゃるのに、お二人の自由明朗英邁闊達ぶりには刮目すべきものがあった。

 好きな言い方ではない(むしろ嫌いだ)が、「元気をもらった」というのは、こういうことをいうのかと初めて実感したように思う。

 ご快癒祈願 兼 快気前祝いと言いながら、こちらが元気をいただきました。ありがとうございました。
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 会食後、思いがけずお宅へ招かれ、奥様とも久しぶりにお目にかかれた。

 おそらく20年ぶりぐらいかと思われるのに、ほんの少しお年を召しただけで、美しい姿形といい、やわらかく優しい物腰といい、まったく昔のままでほとんど感動した。

 築100年という家に趣味良くアンティークや植物を配したお住まいは、お二人(特に奥様)のお人柄をよく表していると思う。

 ここでもまた、話題に事欠かず、さまざまな歓待を受けて居心地の良さに予定外の長居をしてしまった。

 奥様、ありがとうございました。また、食べ散らかして申し訳ありませんでした。
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 当初の目的はどこへやら・・・ということになってしまい、辞去する段になってかろうじて最後に「お大事に」と奥様に申し上げたが、それさえ場違いに思えるほどの楽しい時間を過ごさせていただいた。

 それでも、大手術を目前に控えていらっしゃることに変わりはない。ご快癒を、本当に心の底からお祈り申し上げている。