◆祖母の一世紀

 99歳の祖母がいよいよ死にそうだと母親から電話があったのが先週の日曜日。夕方から仕事の集まりがあって、折り返し電話したのは夜の10時ごろだったと思う。

 朝に電話くれたら行けたのに、というと、いや、朝はまだ何とかだいじょうぶやってん、とのこと。

 一週間後、昨日の日曜日に家族で出かけた。死にそうな99歳でも一週間は生きられるのだ。

 この前に会ったのは半年ぐらい前かと思うのだが、その半年ですっかり変わってしまった。
 ぼけてはいても、孫やひ孫を何とか認識できて、しゃべったりもできていたのが、もはや目も開けない。
 それでも、介護の人から水差しでポカリスエットか何かを飲ませてもらうと、口と喉は動いてその液体は胃へと運ばれていっているようだった。

 鼻にセットされる酸素チューブや、腕の点滴なんかを引き抜いてしまう程度には体も動くそうで、訪れたときには酸素チューブなしで自発呼吸し、点滴は足の静脈に固定されていた。

 見た目は、良くいえば即身仏である。
 あまりの姿に驚いたのだろうか、息子が手を合わせようとするので、「まだ死んでへんねんから、拝まんでええねん」というと、病室に笑いが広がる。

 一世紀も生きたのだ。当の本人が何を思っているかは知る由もないが、死ぬこと自体を悲惨だと思っている者はいない。

 だが、瘦せこけた姿はちょっと悲惨だった。悪くいえば、ややミイラ的というか、ナチス強制収容所から救出されたばかりのユダヤ人を思い起こさせた。

 腹部に穴を開けて胃に直接流動食を流し込む手術を医師から勧められたような話を母親から電話で聞いたときは、そんなことまでして無理に延命することを思いつくだけでもちょっと信じられないと思ったものだが、こういう姿を目の当たりにすると、そういうことをしたくなる気もわからないではなくなる。

 幸いにも、というべきか、これまで瀕死とか死とかとほとんど縁がなかったので、これほど死にそうな人を目の当たりにするのは初めてかもしれず、その辺の機微がよくわからない。
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 祖母の一生、少なくとも前半生は波瀾万丈だったろうと思う。世界や日本自体が激動していたのだから当然だ。
 私の半生は、それと比べればまったく何ごとも起こらなかったといってもよいし、今後も平穏であることを祈りたい。

 自分の寿命を90と決めていたのだが(それでも欲張りか)、祖母がついに到達しえないであろう100歳に上方修正することにした。

 できればそれまで元気でいたい。そのころ世界はどうなっているのだろうか。