■可哀想な「ひかり」

 京都から新横浜へ向かうときの話。

 最寄り駅で新幹線の切符を買おうとすると、「京都53分発の「のぞみ」は今からですとぎりぎりになってしまいますので、次の時間の16分発の「のぞみ」でよろしいでしょうか」。

 係員は、作り笑顔に見えない若い女性だ。

 女性職員を駅や列車で見かけるようになったころから、ちょうど電車にほとんど乗らなくなったので、未だに何だか新鮮である。

 新幹線の発車間隔が23分なんてありえない。それぐらい、田舎者の私にもわかる。それとも、新横浜に止まる新幹線が少ないのかな?

 いずれにせよ、京都駅で20何分も待つのは避けたい。

 「あのぅ、その間に出る電車はないんですか?」
 「あ、はい、えっと、あるにはあるんですが、「ひかり」になってしまいます」

 ・・・ひかりになってしまいます・・・

 「えっと、あの、「ひかり」って遅いんですか?」
 「はい。後の「のぞみ」に抜かれてしまいますので」

 新幹線に乗ってしまえば、快適な車内で景色を見るなり本を読むなり眠るなり、好きに過ごすことができる。少々遅くてもかまわない。

 「あ、それはかまいませんので、それで」
 「はい、かしこまりました。では、56分発の「ひかり」でよろしいでしょうか」
 「ええ、お願いします」

 「のぞみ」の3分後には「ひかり」が出るのである。オマエは地下鉄か。

 ギリギリだという「のぞみ」と3分しか違わなくて大丈夫なのだろうかとちょっと思ったが、京都駅では実際、53分に乗ろうと思うとまさにぎりぎりで、56分だとちょうどゆったり向かえるのであった。

 こういう時間管理においては、毎日のように利用していた国鉄時代からよく感銘を受けたものである。それが悪い方に作用して、例の尼崎の事故なんかを起こしたわけだけれど。
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 確かに「ひかり」は遅かった。浜松だの静岡だのに止まったりするし(ちょっと驚いた)、気づいただけで2台の「のぞみ」に抜かれた。少なくとも、16分発のさらに次の「のぞみ」にも抜かれたということになる。

 とはいっても、確か2時間30分はかからなかったと思う。2人席の窓側は満席でとれなかったのだが、この雨ではどうせ富士は望めないし、結果として3人席を一人で利用できてよかった。

 「隣煙車」だったので少々タバコ臭いことを除けば、すこぶる快適で仕事もはかどった。
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 それにしても、「のぞみ」というのは、「「ひかり」より速い特別な新幹線」ではなかったのか。

 いつの間にか、「のぞみ」こそがごくふつうの新幹線になり、「ひかり」は遅い列車の名称になってしまっている。

 可哀想な「ひかり」・・・

 特別急行(特急)ばかりになって急行がほとんどなくなり、新快速がふつうになって快速は各停に毛の生えたような存在に成り下がってしまったのと軌を一にしている。

 まあ、そういう文化だというのはわかる。

 「お前」も「あなた」も「貴様」も、もはや往年の高貴さや婉曲さを完全に失ってしまっているし、「デラックス」というのは、最下級ランクの車を表す名前になり下がった後、姿を消してしまった(と思う)。

 でも、「ひかり」に対しても同様の仕打ちをしたのは失敗だろう。

 まあ、何となれば、最初の時点でこれ以上ない速さを名称にしてしまったのがそもそもの間違いなんだけど、当時の日本の熱狂と将来への期待を思えば、その命名もわからないではない。

 「ひかり」より速い新幹線の登場時、命名には困っただろうとは思う。

 しかしながら、希望というのは、つましい方が麗しい。

 「ひかり」より速いのが「のぞみ」だなんて、高望みもいいところである。
 いっそのこと、「ワープ」にでもすればよかったのに。