■新聞に載るということ
先日、かつて親しくさせていただいていた(過去形だろうな、やっぱり)方がお2人、全国紙の一面に大きく取り上げられていた。
大きなカラーの写真まで載る扱いである。
そのうち紙面でお目にかかれるだろうな、もし取り上げられないとすれば記者の見識を疑うだけだ、と思って待っていたので驚きはしなかったが、やはり、実際に目にすると格別である。
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小さいころ、よく親から「新聞に載るようなことだけはするな」と言われて育ったような気がする(気がするだけだ。本当に言われてたのかどうかは、今ひとつ定かではない)。
新聞に載るのは悪いことをしたとき、という庶民感覚からは、たとえば自分の息子が、今回のような形で新聞に取り上げられることなどは想像できないことなのだろう。
実際、私は新聞に大きく取り上げられるほど立派なこととは無縁だったし、今後もそうだろうと思う。
もちろん、親の言いつけ?も守り、それほど悪いこともしない。
だが、はからずも「恥づかしき」方々の謦咳に触れさせていただく幸運を得て、自分のことではなくても「新聞に載る」ということを少しは身近に感じるようになってきている。
私の親はそうではない。
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先のお2人はもちろん、新聞に載るために何かをなさっているのではない。私にしても、それを目的に何かをしたりはしない(しても無理だけど)。
しかしながら、「新聞に載るようなことだけはするな」と言い続けていた?親に、「ごめん、あんだけ言われとったのに、新聞にこんな大きく載ってもた・・・」と言って、一面に自分のカラー写真が載った記事を見せてみたい気はちょっとする。
他の誰にも知られなくても。