★御難続き

 「御難続き」である。いや、大したことではない。辞書の意味記述通り、自嘲の気持ちをこめて。

 先日、縦列駐車の要領で路肩に車を駐めようとバックしていて、左後方をガードレールに接触させてしまった。ガードレールが円弧を描いており、後方が車に迫っていることはわかっていたにもかかわらず、である。

 情けない。

 時速1キロも出ていなかったのは確実なのだが、1.5トンを越えるような車の慣性をガードレールと車体で止めてしまったのだから、ただですむはずはない。

 車を少し前に出して調べてみると、ガードレールの方は、もともとくたびれている上に傷だらけで、さまざまな色の塗料もついており、どこに当たったかすら明確ではない。その意味では無傷である。

 だが、鏡のごときわが愛車のボディには、無惨な傷跡が残り、茫然と立ちすくむことになった。

 これぐらいの傷、コンパウンドでこすってタッチアップペイントでも塗っておけばどういうこともないという人もいるだろう。だが、擦り傷だけにとどまらず、ボディパネルまで少し凹んでいる。個人的には、修理しないですませるわけにはいかない。

 早速保険会社に電話する。車を運転しはじめて二十数年、修理のために保険会社に連絡するなんて初めてのことだ。

 「まず、お怪我はありませんか?」との問いに苦笑する。なるほど、確かに、それが一番大事なことだろう。よくできたマニュアルなのかもしれない。

 会話をするうち、これまで保険会社にずっとお布施してきて、初めて支払いを受けることが嬉しいような妙な気持ちになってきた。

 免責が5万円あるので、それは自腹になる。5万円で直る傷とは思えないが、10万円以上かかるようにも見えなかった。そうすると、5万円ほど受け取って、等級は3つも下がることになるそうだ。それでも、現在最高等級なので、保険料は変わらないらしい。

 でも、等級に上限さえなければ、ほんとはもっとずっと上なのだ。やはり、お布施に見合う金額はもらえず、理不尽なペナルティが来るだけであることに変わりはない。
 まあ、見合う金額をもらえるほど悲惨なことにならなかったことを喜ぶべきかもしれないけれど。

 あとで担当者から、「本日の事故のことで・・・」と電話があった。一瞬、「事故? 事故って何のことだ?」と思った。

 ともかく車は修理に出し、また痛い出費をすることになる。こんなことならタイヤを新調しておくんだった。

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 今日は、自転車通学を始めた息子が、登下校の際に荷物を1回ずつ落としたと言っていた。荷台に荷物をくくりつけることすらまともにできない奴なのである。

 そのせいで、行きは遅刻し、帰りは親切なおばさんに助けてもらったという。まあ、いい経験にはなっただろう。

 問題は、そのどさくさで時計のベルトを壊し、地面に落としてしまったことだ。入学祝いというには安物だが、新しく買ってやったばかりのお気に入りの時計なのに、大袈裟に言えばもう傷だらけである。
 ベルトのピンがなくなっているので、修理に出すしかない。

 もう一つ持っている極めつけの安物の時計も修理に出したまま戻っていないので、息子の腕時計は小学2年生の時に祖母に買ってもらった、通称「クマさんの時計」(訂正:ゾウさんでした)だけになってしまった。

 あれを使って高校へ通う勇気があるかな?

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 3月後半から次々に襲いかかってきた一連の故障とか修理とか、いったいいつまで続くんだろう。
 つくづく生産性のない、無駄な労力と出費を憂う。