●香りの記憶

 日焼け止めを塗ると、昨夏を過ごした南カリフォルニアの空が浮かぶ。空港の格納庫で寝起きしていた当時、朝起きて顔に塗るのが日課であった。匂いが生々しくダイレクトに脳に働きかけ、あの侘び住まいでボロのセスナと過ごした日々が自動的に蘇るのだ。試験の重圧さえ別にすれば、何とも長閑で暇な日々だった。あんな夏はもう二度と来ないかもしれない。

 香りはなぜか最も直接的に記憶を呼び起こす契機となる。次は味覚か。1999年冬のオランダで、同じ年の夏に行ったヨーロッパを突如よみがえらせたのは、付け合わせのジャガイモだった。国は違っても「同じヨーロッパ」を声高に主張している脇役に、夏の記憶が不意に呼び出されたのだ。だが、こう書いている今も、その匂いも味も具体的には思い出せない。今度同じものを経験したとき、また体中が反応するのを待つだけだ。

 あらゆる香りがいろんな記憶に結びついているのかというと、ぜんぜんそんなことはない。ごくごく限られたいくつかだけが、強烈に体に刻み込まれているだけだ。それらはしかし、特に何ということもない香りである。それにまつわって記憶されている経験の方は、それなりに記憶に値するものである場合が多いが、その経験がなぜその香りを選び取ったのかは、わからない。

 真夏の強い日射しは、自動的に小学生のころを思い出させる。他のどんな季節も、子どものころを思い出させたりはしない。香りや味以外ではたぶん唯一のトリガーである。こちらは、記憶よりも刺激の方が強い。思い出す記憶の方は、うらぶれた哀切さをまとっているばかりである。