◆痴漢しないでくれてありがとう?

 いつものトラットリア。私が座って満席。下手をすると肩が触れあわんばかりのカウンター。右隣の二人連れが立ち、入れ替わりにすぐ、カップルが座る。
 男性の方が私のすぐ隣だ。体や服に染み付いたタバコの匂い。まだ料理の来ない私は戦々恐々となる。「どうかタバコを吸わないでいてくれますように」 祈るような思いだ。
 タバコを吸っていなくても、この匂いだけで十分迷惑ではある。だが、ここで吸わない限りは、体臭だと思って諦めるぐらいの度量は私にもある(いや、吸われても諦めるしかないんですけど・・・)
 いつタバコを吸い始めるか、はらはらどきどき・・・ 食事のおいしさ、日中の唯一のくつろぎが破壊される。手がポケットにのびる気配がしたりすると、びくっとする。だが、こちらの食事が進んでも、一向にタバコを取り出す気配はない。安心すると食事もおいしくなり、レストランでタバコを吸わぬ喫煙者に、感謝の念すら湧いてくる。英語に、Thank you for not smoking. という便利な表現がある。まさにそういう感じだ。ありがとうございます。

 だが、何か変ではありませんか? あなたは女性だ。満員電車の中で、隣に怪しい男がいる。もしかすると痴漢かもしれない。ちょっと体を動かされても、どきっとする。でも、結局何もされなかった。ありがとう、痴漢しないでいてくれて・・・
 このアナロジーはあながち的はずれでもないと思う。自分の快楽のために、他人に「直接」不愉快な思いをさせる点では、電車内の痴漢も、レストランの喫煙者も同じだ。

 今度は左隣の女性と入れ替わりに若い男が座る。座るやいなや、タバコとライターをカウンターに出してもてあそんでいる。私の左手との距離は30cmほどだ。残りのコーヒーをあわてて飲み干し、そそくさと席を立つ。

 痴漢からは逃げるほかない。