■縁 あるいは 身の回りの品について

 (いつにも増してとりとめのないだらだらとした文章です。あらかじめお詫び&お礼申し上げます。)

 たかだか椅子くらいのことで縁だのなんだの言うのもどうかと思うのだが、やっぱりこういうのも縁なんだなあと思う。

 昨日午前、なぜか「それなりの安いのでいいや」と思ってニトリやら湯川家具なんか(そうそう、うちのすぐ近所にオフィス家具のリサイクルショップというのがあって、しょっちゅう通る幹線に面しているのに、そういうのがあることを今までまったく知らなくて驚いた)を回り、ニトリなら2万5千円、湯川家具で見つけたイトーキのなら3万5千円という感じで、もうどちらかにしようかと考えていた。
 その値段でも、表(おもて)は一応牛革である。

 また一方で、ぱっと写真で見たところ10万円のと区別しにくいような椅子が、通販で5〜6千円で売っていたりする。「試しにそういうのを買ってみてもいいかな」と思いつつ評判を調べると、案の定というか粗悪品と呼べるようなものが多いらしく、手を出すのはやめることにした。

 そんな中、今日午前、わりと近くにカリモク家具のアウトレットがあるので覗いてきた。

 一目でデザインや質感が気に入った椅子は座り心地がイマイチで、座ってみて「ああ、これならまあいいか」と思った椅子はデザインが論外だった。

 家に帰って昼食後、家人に写真やらカタログやらを見せると、私が論外にした椅子が飛び抜けて気に入ったという。
 美的センスを疑わざるを得ない。

 いやまあ、なんというか、イギリスの古い書斎なんかに置いてありそうな、緑の布張りの椅子で、それ自体のデザインが悪いわけではないのだが、私の好みとはかけ離れているし、うちのリビングダイニングはマナーハウスの書斎ではないのだ。

 座り心地は悪くなかったし、アウトレットだから値段もそれほど高くないので、午後からまた店に出かけ、その椅子に座ったまま「どうしようかなあ」と長時間思案して、結局購入した。

 その時に考えたのが「縁」である。

 アウトレットの現品販売なので、たまたまそこにあるものしか(その価格では)買えない。しかも、書斎用の椅子など、ふだんから扱いが少ない上に、今は特に子供用の学習机のシーズンなので、それに展示スペースを取られて、数点しかない。
 なのに、カリモクの Webカタログにある椅子をぜんぶ見て、家人が断然これが気に入ったという椅子がその中に含まれており、座り心地や機能性の面からいえば、私もそれなりに気に入ったのである。
 さらに、デザインや質感がいいと思った椅子よりも安い。

 これまで、特に指名買いではない(というか、その都度いろいろ探した)のだが、気がつくと、私と家人の机と椅子、書斎のキュリオケース(というらしい)、寝室のローボードなど、なぜかカリモクになっている。
 そして、家人の机と椅子は30年以上、私の椅子と机も20年近く使っている(訂正:机は11年でした)。ローボードもたぶんそれくらいだ。

 椅子は布張りだし、のべつ使っているので、もっと傷みが激しくてもおかしくないはずなのだが、まだ十分使えるレベルなのは、たぶん、モノが悪くないんだろうと思う。

 今回、買うかどうか逡巡しつつ、長い間問題の椅子に座りながら、「これも20年以上使うとすれば、70歳を越えても使っていることになるのかなあ・・・」(生きてるのか?)とちょっとびっくりした。

 そこまでのものを買うのなら、もっといろいろ吟味してから・・・という思いと、何もかも気に入るような椅子がそう簡単に見つかるわけでもないし、これも何かの縁だから・・・という思いとがせめぎ合って、最後は、「なんとなれば家人や息子が使ってもいいや」と、買うことにした。

 もっと余裕が出てきてから椅子を見つくろいに行こうと思っていたのに、一番バタバタしているさなかに見にいって、先週や来週だとなかったかもしれないものを安く買えたんだから、まあよかったのだと思う。

 これをきっかけに、今後は意識してカリモクで統一していこうかという気がちょっとしている。
 数年前に気に入って買った安物のソファーが、やはり価格相応なのかすぐにへたり、ちょっと後悔しているのだ。
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 若いときはお金も暇もないので、なんでも間に合わせで買いがちだ。そうして買った安物の家具だって食器だって、多くは30年以上使うことになっている。どうかするとこのまま50年以上使ったりしかねない。

 どんどん捨てて買い換えるタイプの人ならいいのだが、買った以上は使える間は使うという私たちのようなスタンスだと、歴史を刻んだがらくたが身の回りにあふれ、ますます捨てにくくなる。

 たとえば20代でモノを買うとき、これを50になっても使うなんて想像もしない。しかし、落とせば割れてしまう食器でさえ、30年以上使っている安物が食器棚を占拠しているのが現状だ。
 食器はさすがに処分しようかとも何度か考えたのだが、愛着というか腐れ縁というか、そういうものがまとわりつくと無下に捨てることも難しい。

 今回も結局は高くない品で妥協した私が言うのもなんだが、少し背伸びしてでもいいものを買っておくのが大切なんじゃないかという気がする。
 そうすれば、年を取ってから、安物に埋め尽くされた生活ではなく、年輪を刻んだ味わいのある愛用品に囲まれて暮らすことができるはずだ。

 まあ、たとえば30代で50代を見通すことはむずかしいけれど、50代なら70代を想像できる。
 私自身、もう一歩踏み込んで、少しくらいはいいものに囲まれた暮らしに向かいたい。