■みんなもう死んでもたがな

 母親が脳梗塞で左半身不随になったというので、家族3人(+父親)で会いにいってきた。

 最初会ったときの印象は、「覚悟はしていたものの」という感じで、「さすがにちょっとこれは・・・」だったのだが、しばらくその場にいて話などするうち、「まあこれなら何とか」という気もしてきた。

 ことばが出てこないことも多いし、呂律も少し怪しいが、なんとか会話はできる。文字もあんまり読めなくなっているようなのだが、母親らしさはまだきっちりとそこにあり、幸か不幸か少し角が取れたような気もした。
 左手はほとんど動かないが、左足の方はまだ少しは動く。これならリハビリすれば立って歩けるようになるのではないかと期待も持てる。

 そのリハビリに行く前に血圧を測るのだが、それが高いというのでリハビリ可能かどうか作業療法士が確認を取りに行っている間、私が「170なんぼくらいやったら大したことないで」と言うと、母親が「いいや、何いうてんの、あんた。そんなことあるかいな」という表情をした。

 その表情が元気なころ(といってもほんの2、3週間前だ)そのままで、ちょっとほっとした

 リハビリを見学すると、動かない左手を右手で助けて何とか積み木を持ってカゴに入れたり、男物のカッターシャツを一人で羽織る練習をしたりしていた。
 なんともまどろっこしく、こうなってしまった人間の無力さを通して、こうなっていない人間の弱さや脆さを思って切なくなる。

 こんなことをゆるゆると日に計1時間やるだけで、80歳の老人が回復に向かうのだろうか。
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 ひと月ほどこの病院でリハビリを続けたあと、かつて母親の従兄が勤めていたリハビリの専門病院に転院する。その話から親戚のだれかれの消息話になったのだが、ただでさえ固有名詞の怪しい老人が、脳梗塞など患うと、なかなか名前が出てこない。
 私の知っている名前など限られているし、父親だって母親の親戚をぜんぶ把握しているわけではない。

 だれでもない、かれでもないと名前が挙がるうち、父親が「そんなん、みんなもう死んでもたがな」(その人たちはみんなもう死んでしまったじゃないか)と言った。

 そういう人たちの名前を母親が出したのだろうか、よくわからない。

 とにかく、「みんなもう死んでもたがな」というのが滑稽で、吹き出してしまった。
 家人と息子は何がおかしいのかときょとんとしながら聞くのだが、「「みんなもう死んでもたがな」て・・・」と言いながら、笑いが止まらず、説明できない。
 いや、止まっても説明できないと思う。

 とにかく、みんなそのうち死ぬのだ。

 病院を後にして、夕飯の買い物をするためにスーパーに寄ったときも、ひとりでトイレに行ったあと、またおかしさがこみ上げてきて、大笑いを抑えながら戻る。
 「どないしたん?」
 「いや、またさっきの「みんなもう死んでもた」を思い出して・・・」

 今こうやって書いていても、笑いを禁じ得ない。

 Man is mortal. なんかより、「みんなもう死んでもたがな」のほうが、よほどリアルで滑稽だ。