●「診察券忘れました」

 左足の親指の爪がちょっと妙なことになっていて(左下隅が赤、右下隅が黒)、10日ぐらい経っても変化がないのでとうとう医者に行った。
 ふだんなら行こうと思えば平日に行けるのだが、少し立て込んでいたので土曜日になってしまった。気分的に月曜まで待てない感じだったのだ。

 ところが、行こうと思っていた皮膚科は、調べてみると第四土曜日が休診で、今日はばっちりその日なのであった。

 ネットでいろいろ探したのだが、なかなか近くに適当な医院がない。アンチエイジングやスキンケアばかり強調した医者か、「内科・小児科・皮膚科」とか「形成外科・皮膚科」とか、なんだか信用できそうにない医者が多い。

 住宅地で素朴にやっていそうな医院もあったのだが、公共交通手段はなく駐車場もないようなところだった。

 結局、混むのを覚悟で以前息子を連れて行ったことのある皮膚科に車で行った。そのときにすごく混んでいた記憶があるので、なるべく避けたかったのだ。
 病院の待合室で診察の順番を待つのは、人生における苦痛のかなり上位を占める。

 だが、待合室には10人もいない。順番は朝から数えて18人目だった。「ラッキー」と思ったが、それでも1時間以上待たされた。

 医師は

 「赤くなってますね。なんだろう、これ? 押すと水が出てきますね。朝、シャワーとか入られました? ほら、すこし隙間ができちゃってますよね。あらあら、どうしたんでしょうね。あ、どうしたんでしょうって言われても困りますよね」

という感じの60歳ぐらいの女性である(ほんとうは50歳ぐらいだったらすみません)。

 うん、確かに、ベテランの医師が戸惑っているのはちょっと不安だったが、息子の時にこういうタイプの人だったような記憶が微かにあるし、正直なのは好感が持てる。

 医療用ルーペで観察するなど、わりと詳しく診察してくれた後、爪なんかを削って長時間顕微鏡を覗いている。机の上には老眼鏡があるし、もしかして見えていないのではないかと、そっちのほうが不安になる。
 が、長い間かかっていたのは、いくら探しても白癬菌(水虫菌)がいなかったからのようで、それは一応朗報である。

 診察が丁寧なのはいいのだが、1人の患者にこんなに時間をかけていていいんだろうかとこっちが心配になってくる。それでも、ものの5分ぐらいのことだろうか(時間を計っておけばよかった)。
 ふだん、3分(というより1分?)診療に慣れすぎてしまっているのである。

 結局、確たる診断はつかなかったのだが、いずれにせよ細菌感染がありそうだということで抗生剤を出してもらった。
 ___

 あ、こんなことを書こうとしていたのではない。

 待っている間も次々と訪れる患者の多くが「診察券忘れました」と言っているのが不思議でしょうがなかった。

 医者に来るのに診察券を忘れるやつがいるだろうか?

 いや、いるにしても、こんなにたくさんいるだろうか。これは以前からの疑問だが、答えを出そうとしたことはなかった。

 珍しく土曜の昼間に家にいた家人に話すと、「何かのついでに医者に行く人がいるからじゃない?」というのだが、平日の会社帰りの夜とかならともかく、土曜の午前中である。
 「スーパーに買い物に来たけど、ちょっと思い出したからついでに皮膚科に」なんていう人がそんなにたくさんいるとは思えない。ほとんどの人は、医者に行こうと思って家を出たはずだし、余分な荷物を持っている人もいない。

 医者に行くときに必要なのは、保険証と診察券とお金だということぐらい、子どもでも知っている。なのにどうして、診察券を忘れるのだ?
 「保険証を忘れました」という人もときどきいるが、保険証の方は1か月に1回とかだから忘れるのもわかる。「お金を忘れました」という人は見たことがない。

 ・・・と考えるうち、わかった。

 彼らは診察券を忘れたのではない。整理が悪くて診察券が見つからなかったのだ。そして、「探すのが面倒くさいので持たずに来ました」とは言えなくて「忘れました」と言っているのだ。まず間違いない。
 そういえば、かつて「診察券が見つからなくて・・・」と言っている人を見たこともある。あの人は珍しく正直な人だったのだろう。

 私も人に自慢できるほど整理のいい方ではないが、診察券を「忘れ」て病院に行ったことはたぶん1度もない(診察券を持っていたのに、その病院に行くのが初めてだと勘違いしていたことは1度ある)。

 みんな、よほど整理が下手なんだなあ・・・ あきれると同時に、なんだかちょっとほっとする。

 でも、あれだけ「忘れる」人が多いと、診察券の存在意義自体、疑問に思う。もしかして、なくてもいいんじゃないかな?
 それとも、たとえ「忘れる」人が半分いても、持ってきてくれたら少しは手間が省けるありがたい存在なのだろうか。