★「偉人伝」の罪

 子どものころ、偉人の伝記というのを読まされた人は多いと思うが、あれはどういう教育意図でやってるんだろう。

 私が子どものころに人気があったのは、エジソンキュリー夫人野口英世などであった(今、他にもいなかったかなと思って家人に聞くと、この3人をこの順で挙げた。よほどの定番だったのだろう)。

 なぜアインシュタインやガンディがいなかったのか不思議だが、マザー・テレサなんかはまだ有名ではなかった。
 あ、ヘレン・ケラーを忘れていた。

 いずれにせよ、そんなものを読んだって、99.99%(フォーナイン)以上の人は、その足もとにも近づけない。
 このクラスの人に「近づく」だけでも、純金の中に不純物を探すようなものなのである。

 お手本にして精進せよということなのかもしれないが、あまりにも現実離れしている。才能だって努力だって(それに幸運だって)、凡人ががんばって何とかなるレベルではない。
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 それほどのことはないのだが、朝日新聞の土曜版(青be)には、毎週、偉人の記事が一面トップに載る。

 「フロントランナー」と題するこの記事は、毎週、一面の記事のすべてを占めるとともに三面の半分を使ってその続きが掲載されている。

 これも、一体何のために連載されているんだろう。

 先週と先々週は、たまたまなのか、女性経営者が続いた。経営者とはいっても、サラリーマン社長・重役である。
 優秀だったのだろう。2人とも、年齢は50代半ば、1人は岡山高島屋の社長、肥塚見春氏、もう1人はシャープ執行役員の岡田圭子氏である。

 実は、このエントリは、肥塚氏の記事だけ読んで書こうと思っていた。ぐずぐずしているうちに、次の週も女性経営者が取り上げられることになった。
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 言いたいのはこうである。こういう「フロントランナー」像を提示して、朝日新聞はいったい何がしたいのか。

 「あなたもこれら経営者の顰(ひそ)みに倣(なら)って、立派な社会人になってください」と女性に呼びかけたいのだろうか。
 まさか、「世の中にはこんなに立派な人もいるんですよ、それに比べてあなたは・・・」と説教したいわけではあるまい。

 しかしながら、呼びかけられても99.99%の人は、彼女たちのようにはなれない。

 それでも、エジソンキュリー夫人とは違って、少しは近い存在に感じられるかもしれない。東大だって出ていない。

 だが、だからこそ、罪深いと思うのだ。

 私もこんなふうになりたい、あるいはなりたかった、という女性は、おそらくたくさんいるだろう。
 能力だってあった、努力だってした、一流大学を出て一流企業に勤めた・・・ 同じ時代を同じように生きてきた。それなのに・・・

 彼女たちと私との違いは何なの?

 上司(同僚)に恵まれなかった、結婚(出産・育児)が障害になった、夫(両親・舅姑)に理解がなかった、夫の仕事の都合があった、両親の介護が必要になった、法律(時代)が味方しなかった、そして、自分の能力(努力)が足りなかった・・・

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 たとえば岡山高島屋社長の肥塚氏は、3人の女の子の母親である。
 高島屋に「入社6年目」「病に倒れた母の看護と育児が重なった」。
 「疲れ切った頃、夫の海外赴任が決まった」。
 「悩んだ末」「辞職した」。

 それでどうして、その会社の役員になり、子会社の社長になれるのだ?

 「惜しむ上司が奔走し、2年後」「再雇用制度適用の第1号として復帰した」からである。

 それでも当然、「同期の社員と比べ、昇進は遅れ気味になった」。そんな中でも3人いる「娘たちの弁当も10年以上、欠かさず作り続けた」。
 「横浜店の販売部長時代」には「部内でクレジットカード情報の流出が発覚」し、「クビも覚悟した」。

 百貨店業界全体が、慢性的な不振に喘いでいる。そんな時代、強力な地元のライバルも存在する「2期連続の赤字店」を任され、黒字転換にめどをつけた。岡山へは、もちろん単身赴任である。

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 おわかりだろうか。

 「偉人」のキャリアは、そうなりたい(なりたかった)女性に一切の言い訳を許さないのである。

 結婚して子どもを3人育てながら母親の看病もする会社員生活。夫の海外赴任まで重なったためにさすがに諦めて辞職しても、また復帰。
 その後も、毎日子どもたちの弁当を作り続けながら会社で出世し、夫と仲良くやっていく。そして、子どもは3人とも立派な社会人と大学生に育て上げる。
 子育てがほぼ終了すると、単身赴任で社長となり、不振店の業績を回復させる・・・

 このぐらいでないと「フロントランナー」にはなれないのだ。

 岡田氏は肥塚氏ほど波瀾万丈ではないのかもしれないが、「オフィスのど真ん中で上司に」「給料泥棒。辞めてしまえ」と怒鳴られたりしながら、「今のような産休制度」がない中、結婚して子どもを産み育て、シャープ初の女性本部長、女性執行役員となっている。

 こういう話は、そうなりたい人には「私には無理」と思わせ、そうなりたかった人には「結局、私の能力と努力が足りなかったんだ(私ってだめな人間)」と思わせないだろうか。
 そして、どちらでもない人は、「こんな偉い人もいるんだなあ(私には関係ないけど)」と思うだけであろう。

 こんな記事を読んで明るく前向きになれる人がいるとしたら、よほど才能に恵まれているかよほど脳天気かのどちらかである。

 罪ばかりで益少なく、だれも幸せにしないこういう「偉人伝」は、一体何のために盛んに繰り返し提示され続けるのだろうか。