●革命的な MacBook Air

 新しいコンピュータを購入しても、できることにはなんの変わりもない。

 その点、iPhoneiPad(いずれも持っていない)は、できること自体が違うので、生活の中に新しい習慣が始まる可能性がある。

 だが、新しい MacBook Air でできることは、すでに所有している MacBook Pro でもできる。何か違うことをするにしても、それはソフトの力によるのであり、そのソフトを別のパソコンに入れてしまえば、また同じになってしまう。

 MacBook Pro にできなくて、MacBook Air にできることは何もない。Air はむしろ、スペックの劣る薄型 Pro にしか見えないし、実際、そう思っている人も多いらしい。

 ところが・・・

 MacBook Air 13 inch を使い始めてしばらく経つと、驚いたことに、もっと性能がいいはずの MacBook ProiMac を使うことがほとんどなくなってしまったのである。

 すぐ目の前にそれらのコンピュータがあっても、手が伸びるのは MacBook Air の方である。それはもはや、「目新しいから」が理由ではない。

 薄くて軽くてどこにでもひょいと持ち運んでいけるからであり、その利点を生かすべく、徹底して何も繋いでいないからである。

 今、机の上にある MacBook Pro には、電源コード、TimeMachine用ハードディスク、スピーカ出力のコードがつながり、USBメモリが刺さっている。
 これでも、たとえばインターネットやプリンタを無線LANで使っているだけましなほうである。そして、仮に全部接続を外して気楽に持ち運ぼうと思っても、大きさ・厚さ、そして何より重さの面で「よっこらしょ」となってしまう。

 それだけではなく、ほとんど何をしても Air は Pro より速い。
 CPUは確かに旧式(Core 2 Duo)で、クロック周波数も若干劣るが、HDDを廃して、高性能の東芝SSDを採用したことにより、ほとんどストレスを感じさせない体感速度を得ている。
 こうやって漢字変換していても、HDDだと一瞬待たされたりもするのだが、SSDだとまったくそれがない。立ち上がるのが遅かった Firefox や Word や Excel などは、数分の一の時間で動き出す。

 スリープからの復帰は一瞬、システムを再起動しても十数秒しかかからない。

 そして無音。
 ファンが回ればそれなりにうるさいし、夏はどうなんだろうとは思うものの、普通に使っている分にはまったく静かで、本体に耳をくっつけるようにしなければ何の音もしない。

 13 inch と画面が狭いのは致し方ないが、それ以外の面でこれほど素晴らしいコンピュータを他に知らない。
 贅沢を言えば、電池がもっと長時間持てばいいと思う。しかし、ごく普通に使っている分には、夜のこの時間になってもまだ電源を繋がずに使えている。画面の輝度を落とすのがコツだと、最近知った。

 今からちょうど25年前、初めてもらった冬のボーナスの大半をはたいて初めてパソコンを買った。
 MacBook Air は、四半世紀後にたどり着いた、ひとつの大きな到達点だと思う。重さが二十数倍?、体積が何十倍、クロック周波数が1/200以下、メインメモリが1/5000以下のパソコンを使い始めてから25年間、こういうコンピュータをずっと求めてきたのだという感すらする。
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 軽いと使い方が変わる。
 先日の昼食散歩の際も今日の通勤途中でも、ふと思い立ってそこらのベンチや石の上に座り、カバンからさっと取り出して使ったりした。
 今夜、外で夕食を食べていたときにも、思い立ってすぐに調べ物ができた。

 パソコンをいつもカバンに入れて持ち歩くのは十年ちょっとぶりだと思うが(以前は3〜4kgもあるような大型ノートブックをいつもリュックサックに入れていたが、その後、ポータブルハードディスクだけ、最近ではUSBメモリだけを持ち歩くようになっていた)、目的地で使うだけではなく、途中でも気軽に使えるのだ。

 「軽い高性能」には革命的な価値がある。
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 まあ、いくらコンピュータが革命的であろうと、使う方が使う方なので、革命的な仕事や創作に結びつかないところが、なにやらもの悲しくはあるのだけれど。