●こだわり

 先日、その筋では高名な方としばらく歓談させていただく機会を得た。

 「ぼく、いろんなものにこだわりがあるんですよね」とおっしゃって、リンゴとかそのジャムとか紅茶とかお茶とかへのこだわりを伺った。
 はっきりと商品名を聞いたわけではないが、いかりスーパーでしか売っていない秋田県産のリンゴジャムがおいしいとおっしゃるので、今度探してみようと思っている。

 毎年わざわざ信州から取り寄せているというリンゴの品種を他の人から問われ、「そんなん知らんわ」とお答えになっていたのは、お人柄が出ていて面白かった。

 おおらかなこだわりなのである。

 私にも、「絶対いろんなこだわりがあるでしょう」とおっしゃるのだが、そんなものは思いつかない。
 しばし考えて、手元にあったノートパソコンに気がつき、「あ、そういえば、Windows が嫌いで Mac を使ってますね」というと、「ほらやっぱり」ということになった。

 Mac を使うというのはこだわりがないとできないことらしい ^^; そういえば、村上春樹も「意固地で偏屈だから Mac だ」というようなことを言ってましたね。

 後で考えると、有機野菜だとかフェアトレードだとか、自転車を3台もってるとか、そんなことがないわけではない(あ、双眼鏡は10個ぐらい持っている)。
 でもまあ、できるだけ安くて綺麗な農薬漬けの野菜をスーパーで選んで買うし、コーヒーなんかは先日までブルックスだった。それも一番安い「マイルドブレンド」である。

 いずれにせよ、どれも「こだわり」というほどのことはなく、実際にこだわっている人から見ると、児戯に等しい
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 そんなことが頭の隅にあった時、新聞の投書欄でおもしろい記述を発見した。

 それは、「私は食器にこだわる方です」で始まる。
 そして、「使う、洗う、拭くなどのときは気を使います。食器洗浄機や電子レンジに入れるのは、もってのほかです」と続く。

 なのに、近所に100円ショップがオープンして「食器が、すべて100円で売られているのを見」て「感動し」、「一目惚れした食器をいくつか買い求め」たという。

 この2件の事実が、筆者の中で矛盾していないということに、相互理解不可能の壁を感じる。
(念のため、この方のこだわりは「大切に使う」という点自体にはない。この後、投書は、やっぱり100円で買ったものは知らず知らずぞんざいに扱ってしまう、と続くのである)

 私は食器にはあまりこだわらない。食器洗い機を常用しているのはもちろんのこと、バチバチと火花が飛ぶようなことさえないタイプならば、当然電子レンジを使う。
 だがもちろん、100円ショップで食器に一目惚れすることはありえないし、買うこともない。

 ことばの意味もそれぞれの文化も、お互いに理解することはほんとに難しいと思う。
 職場や家庭の日々の生活で毎日感じていることだけれど。

 そうそう、今後、下着のシャツとパンツはすべてユニクロで買うことに決めた。こういうのは「こだわり」というのだろうか?