■忍び寄る老い

 昨日の朝のことである。

 洗面所で歯を磨いていて、左の眉毛の内側の方に1本、白い毛が生えているのを見つけた。

 何だかちょっと、不意を突かれた感じになって、まじまじとそこを見る。両の眉毛を点検してみたが、白いのはその1本だけのようであった。

 今でも、髪の毛にはほとんど白髪がない。いや、もちろん、10年ぐらい前からか、ないわけではないのだが、鏡を見ていて見つけることが稀な程度にしかない。他人がふつうの注意力で見ている分には、現在でも1本の白髪もないように見えるはずである。

 それでも、髪に白いものが見つかるのはまあふつうのことなので、それほど驚きはしない。しかし、想像もしていなかった「眉毛に白髪」には軽いショックを受けた。

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 髪が薄くなったり白髪が増えたりするのは、わかりやすい老いの兆候である。あと、近くのものが見えにくくなるとか。

 そうそう、老眼に関しても、まだはっきり自覚するほどではないが、眼鏡をかけたままだと20cmより手前のものが少し見えにくくなってきたような気がする。
 昨日、すごく小さな字で書かれたナイフとフォークのブランド名を読もうとして顔に近づけると、ぼやけて読めないのに驚いた。30cm近くまで離すとはっきりするのだが、今度は小さすぎて読めない。

 これまで、近くに寄れるものなら、たいていのものは見えた。レンズものが好きで昔買ったニコンの虫眼鏡もツァイスの単眼鏡も、ほとんど使うことはなく、机の引き出しにしまったままである。
 双眼鏡の出番がものすごく多いのは、鳥を見るからばかりではない。これまで、遠くのものは見えにくくても、近くのものを見るのに不便を感じることはほとんどなかったのだ。たとえそれが、(たとえば)小さな花の付け根にある苞の切れ込みとかであったとしても。

 近くに寄っても見えなかったりするから、虫眼鏡なんかが必要になるんだ・・・

 幸い?現在のところ、眼鏡を外せば10cm未満でもしっかりピントは合う。ナイフのブランドもそうやって読めた。
 けれども、小さな読めない文字を、眼鏡を外して読んでいる人は、もはや青年ではあり得ない。これまで自分がそんなことをしたことがあっただろうか?
 そうまでして読んだブランド名が見知ったものではなく、かつ、まだそれから1日も経っていない現在ですらぜんぜん思い出せないことに、何だか淡い寂寥感のようなものが漂うのである。

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 話がふくらんでしまった。もともと、「眉毛に白いものを1本見つけました。ちょっとびっくりしました。終わり」という感じのエントリにするはずだったのである。

 話を戻そう。薄毛・白髪・老眼などはわかりやすい老いの兆候だ。だが、わかりにくい老いも種々忍び寄っているのかと思うと・・・ と書きながら、実は実感がない。

 老いの近づいてくる速度は、私の日常の感覚からすると遅すぎて、気になるほどではないのである。しかし、ある日突然、何かに気がついて愕然とするようなことになるのだろうとも思う。
 おそらくは、今回の眉毛どころではなく。

 老いを「忍び寄る」ものと表現してきた先人たちの思いが、そこはかとなく想像できる年齢になってしまった。